空豆が道の駅の店頭に並んでいる。塩茹では小じわのよる時分の4月の終りごろから食べ、未熟なものでも手がつく。
それが終れば枝豆。その最高が黒豆である。それが出回る秋には買出しにでかけるが、その雑踏を思いながら、ビニールで囲まれた栽培ハウスを窺き見て、篠山街道、通称デカンショ街道を柏原(かいばら)に向って行った。新緑が丹波の山並みをおおい、水田には早苗が植えられていた。日本の原風景ともいえる中を、快適に車を走らせる。初夏の風が心地よく薫っている。
むかしむかしの頃、女流俳人といえば加賀千代女(かがのちよじょ1703−1775)で、落語にもなった才女の
「朝顔につるべ取られてもらい水」という、人口に膾炙された平俗な句を想い出す。35歳のときに作られたとか。一方、娘が連れて行ってくれた田ステ女記念館で、柏原の俳人として、田ステ(1633−1698)の存在を知った。6歳で作った
「雪の朝二の字二の字の下駄のあと」は有名ではあるが、まさか6歳の作とは露知らずであった。真偽は別として同行していた一年生の女の子に作ってみたらといったら、俯いてしまった。丹波を吹く五月の風は優しく彼女の頬を撫ぜて行った。
階段を手を差し延べて助けくれる幼女も好し俳句また好し

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