雨が降り続く日曜日である。梅雨入りしているのに照り続けた暑い一週間の経過は早く、雨に替わってしまった。その間、歌舞伎俳優の十一代市川海老蔵の妻、小林麻央さんの夭折は、多くの女性の紅涙を搾らしめたことであったろう。彼女が言う「与えられた時間を、病気の色だけに支配されることは、やめました」という言辞は、かって所属する業界の長として、「限られた人生の時間のなかで、協調を惜しまず業界存続に協力して欲しい」と説いてきたわが口実と類似している。病気は一番のできごとではないといい、また「病気をしていても健やかであり続けることは、大きな広場につづく道がある」と人生を喝破している彼女の精神力には34歳とは思えぬ強さを感じることができる。
現代短歌を齧った者なら誰でも知っている、乳がんで亡くなった二人の才媛歌人を想い出している。中城ふみ子と河野裕子のことである。前者は、
「倖せを疑はざりし妻の日よ蒟蒻ふるふを湯のなかに煮て」そして、後者は、
「逆立ちしておまへがおれを眺めてた たった一度きりのあの夏のこと」みずみずしい恋の世界を活力あることばのエネルギーがあふれている。なのに中城ふみ子は、
「背のびして唇づけ返す春の夜のこころはあはれみづみづとして」「失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ」「無き筈の乳房いたむとかなしめる夜々もあやめはふくらみやまず」と発熱のために幻覚や、死との快楽的な戯れが詠まれて31歳で旅立っている。
そして、河野裕子、
「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか」「ブラウスのなかまで明るき初夏の日にけぶるごときわが乳房あり」「歩くこと歩けることが大切な一日なりし病院より帰る」河野裕子は「生来、心身虚弱の私は、正の不如意に極度に、もろく、敏感で、居心地わるく生きがちである。」と一点突破をはかり手術を受けたが帰らぬ人となった。生老病死は誰もが背たらっている人生の試練である。そのときのこころの構え方を考えてみたところである。
一切を放下するとは何事か生きるか死ぬかをどうすることか
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