旅の疲れがまだあるとの方便(ほうべん=仏教で人を真の教えに導くために仮の手段)として年齢、暑さの所為だと言いたくないと、がんばっている。
「うそも方便」という、目的のために利用する便宜的な手だてを嘴が黄色かったころ教えこまれたために、窮屈な人生を歩いて来たのだが、この暑さに、ばてましたとか、年を取ってしまって元気が出ませんワ、とかの「甘え」のことばは、自分にはご法度ではある。
暑さに感けず、炎天下を散歩しようと外に出た途端に、かなり訛のある日本語で若者に道を訊かれた。失礼だが、あなたはどのくらい日本に居られるのかと聞き返した。一年前に台湾から来日して日本を研究しているという。日本の何を勉強しているのだというと、民宿のことですという。「民宿?」「そんな研究をしに日本に来ているのか。」研究という名の下誰かを呼び、何かを目的にしているのか、それなら最近出来た法律のことをご存知だろうナと、オレは、治安を維持する刑事ではないから安心せよ。などとからかいながら、それとなく戦前の日本歴史を勉強しなさい。と小さな声で囁いて別れた。
過日、近所のあの家の表札をご存知かと尋ねる男があった。中国名である。住んでる人、出入の人を見たことがあるのかとのさり気無い質問であるが、古くから住む老人を捉まえた単純な問いかけなのだが、いよいよあの法律が動いているのだナと、やくざ対策ではない匂いを感じる男との出会いである。そんなことを考えながら、わが国の近隣で、思想的に社会環境の異なる国家が存在していることを慮(おもんぱか)ると、何事かが蠢いていることをこの暑さのなかで考えている。
不肖我輩はということばあり衆愚政治がまた始まるか

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