歩いていても冷たい外気に身が縮む。ふと沿道にある古い民家の軒下を見ると蟻の巣があるのだろうか、蟻たちが巣に運び入れようとしたのだろう、獲って来た蛾を運びきれずはねが転がっている。ビル化したこの街中にも、まだ取り壊されず残っている木造の民家があり、ふと目にした光景に秋の深まりを覚える。十月も今日で終り、天候不順で天高しの好天に恵まれなかった印象が強い月でもあったような気もする。
そして、「お前はまだ生きていたのか」と、出くわした蝿を見てそのあわれさを覚える。梶井基次郎は、
「冬の蝿とは何か?」よぼよぼ歩いている蝿。指を近づけても逃げない蝿。そして、飛べないのかと思っているとやはり飛ぶ蝿。彼らは一体何処で夏ごろの不逞さや憎々しいほどのすばしこさを失って来るのだろう。色は不鮮明に黝んで、肢体は萎縮している。汚い贓物で張り切っていた腹は紙撚(こより)のように痩せ細っている。そんな彼等がわれわれの気もつかないような夜具の上などを、いぢけ衰へた姿で這っているのである。それが冬の蝿なのだ。とは、
『冬の蝿』の冒頭を想い出すのだが、よぼよぼしている自身のことを触れられているのかの錯覚に囚われているのかとの思いになり、十月との別れを惜しんでいるところである。
そんな折、大阪から和歌山の海南までの熊野街道を何回かに分け、今回20数`歩いて完歩して来たという元気な老齢者が尋ねて来た。70歳を過ぎていて無謀ではないかというと田辺までなら大丈夫だとさらりと言う。感動してしまった。月が替わりあと一週間すれば、傘寿を迎えようとしている自分には、羨ましきことである。
この月はあの人この人遠近のたよりに笑い泣きしことども


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