前衛俳句の中心となり俳句の可能性を大きく広げたとされる金子兜太が亡くなった。東大から日銀へ。超エリートである。前日、水族舘で蛍烏賊を見た翌日、勤める銀行に出社したら蛍光灯の下に働いている同僚行員のすがたとホタルイカとが重なって見えたと感じて詠んだ句が、
「銀行員等(ら)朝より蛍光す烏賊(いか)のごとく」である。そして、この異様な俳句の登場で喧喧諤諤の論議になった。当時、大学に入ったところで、短歌に対する、仏文学者の京大教授桑原武夫の第二芸術なりとの酷評価が残っていて、袖にされているような俳句に目が移って、水原秋桜子が主宰する
『馬酔木』に投句していた。秋桜子の門下には、石田波郷、加藤楸邨などの俊才がいて楸邨に弟子入りしたのが兜太であった。彼は、秩父出身で、父は医師で俳人。
『馬酔木』同人の金子伊昔紅(かねこいせきこう(1889−1997)で、民謡
『秩父音頭』 の復興に努めた郷土の偉人とされている。
ハァーエ 鳥も渡るか あの山越えて 鳥も渡るか あの山越えて(コラショ) 雲のナァーエ 雲のさわ立つ アレサ 奥秩父
若い頃聴いた懐かしい一節が甦ってくる。先の安全保障関連法案への反対で、作家の澤地久枝に頼まれて揮毫した
「アベ政治を許さない」の文字が法案に反対するデモ隊のプラカードに掲げられた壮観は忘れられない。
「酒止めようかどの本能と遊ぼうか」の句にギクリとさせられた。
尾を立てて向かって来たる猫を見てその目的は春待つこころ

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