大阪市内の桜は今が満開である。そのなかで天王寺の七坂を題材にした短編小説がある。有栖川有栖が書いた
『幻坂』に、「大阪市は起伏の乏しい街だが、中央には上町台地が南北に伸び、その西側に多くの坂を持つ。本書の舞台となった七つの坂は、天王寺七坂あるいは大阪七坂と呼ばれ、すべて天王寺区にある。七坂の界隈は寺町を形成して、四天王寺をはじめ多くの神社仏閣が連なる(最も古い大阪)であり、古代から現代に至るまでこの都市の記憶を抱く。」とある。目次では、清水坂。愛染坂。源聖寺坂。口縄坂。真言坂。天神坂。逢阪を取り入れたフィクションの世界が展開されて行く。
冒頭に取上げられている清水坂の書き出しは、
「どこのどなたとも知れん行きずりの方に聞いてもろて、気持ちを鎮めとうなりました。ご迷惑やなかったら、ちょっとお付き合いいただけますか。つい先日、近所を散歩してて、あるお家の庭に見事な山茶花(さざんか)が咲いてるのを見かけて、胸の内に甘いような苦いような想いが込み上げてきたんです。」とある。花を観るのはいまのうちと、干武陵の『勧酒』を訳した井伏鱒二の花発多風雨 (花に嵐の例えもあるぞ) 人生足別離 (さよならだけが、人生だ。)のフレーズを口ずさみながら、口縄坂に急ぐ。寺の塀越しに覗く万朶のしだれ桜に見惚れていたら
『幻坂』の冒頭にある、どこのどなたとも知れん行きずりの方に聞いてもろて、気持ちを鎮めとうなったのだろうか、妙齢の婦人に声をかけられた。「きれいな花ですね」と。前にある「大阪府立夕陽丘高女跡地」の碑を指さしながらここに入学できなかった伯母が涙にくれていた話を母から何度きかされたことかと、桜を仰ぎ見ながら此処に女学校があった昭和5年ごろの話になっていた。古きよき時代の大阪の想い出話に花が咲いた。
坂の上には御影石の碑が建っている。ここから夕陽丘高女の女学生に日々接していた織田作之助の
『木の都』の一節が刻まれていた。曰く
「口縄坂は寒々と木が枯れて、白い風が走っていた。私は石段を降りて行きながら、もうこの坂を登り降りすることも当分あるまいと思った。青春の回想の甘さは終り、新しい現実が私に向き直って来たように思われた。風は木の梢(こずえ)にはげしく突っかかっていた。」その坂の石段をゆっくり降りながら風花の静かに舞い落ちるなかを下寺町に出る。
咲く桜みな枝垂れる頼もしさ酒のみ交しし人いまは亡く

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