サッカーW杯の決勝トーナメントに出場なるかどうかの監督の駆け引きに疲れている。勝つか引き分けなら自力で一次リーグの突破が決まる状況だったが、前の二試合に活躍した先発メンバーを6人代えて引き分けを狙ったが、失点してしまって敗れてしまった。室町時代の歌謡集
『閑吟集』に、
「梅花は雨に、柳絮(りゅうじょ)は風に、世はただうそにもまるる」とあるように、「いつはりのなき世なりせばいかばかり人の言の葉うれしからまし」とある
『古今和歌集』の恋の歌にみる「うそ偽り」を西野朗監督の採った究極の選択のことを考えている。「自分の心情としては不本意なことではあるが、選手たちにブーイングを浴びせながらのプレーをさせてしまった言にその苦しさを見る。MF本田圭佑の「結果がすべて。すばらしい采配だった。僕が監督でも、これは出来なかった」と、選手の理解があったことはうれしいことだ。
本当か、うそかは知らないが、石川啄木は、大嘘つきの借金魔であったといわれるのは、
「あの頃はよく嘘(うそ)を言いき。平気(へいき)にてよく嘘を言いき。汗が出(い)づるかな。」という歌が
『悲しき玩具』のなかにあるからなのか。
「偽り」が、真実めかして他を欺くことを意図しているのに対して「うそ」は、本当ではないことが最初から相手に見抜かれている内容のものと解すれば、啄木の「うそ」も、その貧困と孤独ゆえに、こころのうちを正直にさらけ出した、嘆きの声だったのかも知れないと、決勝トーナメントへの実を採るための監督の苦渋の選択を評価したい。
こみあげてくる涙こらえて拳する負けて勝つのは容易きことか

507

6