経験のないコースを逆行してやって来る12号台風に終夜、翻弄されてしまった。草木も眠る、丑三つ刻、(When the plants also sleep Ushimitsu)伊勢付近に上陸した台風は雨を伴って激しさを増していたのが、ピタリと止んで不気味なほどの静けさになった。そっとテレビをスイッチした映像は、現在、大阪市を通過している模様とか。その台風の目のなかにあるらしい。第一、第二の室戸、ジェーンと大阪に大災害をもたらせたあの風水害のことを思う。台風が大阪にやって来ると聞けば、極端に神経質になる母に台風に遣られるより神経衰弱で斃れるぞと、揶揄した自分ではあるが、年を重ねて気が小さくなってしまったのか、特に経験したことがない方向からやって来た季節外れの「白南風」に怯えている。灯明をつけ、一心不乱に
『般若心経』を繰り返して読経する無の境地を求める始末である。
今に思う。鴨長明の
『方丈記』の記述のことである。新潮日本古典集成では、三木紀人の校注が赤字でなされている。「治承四年卯月のころ、中御門京極のほど
(あたり)より大きなる辻風
(つむじ風)おこりて、六条わたりまで吹ける事侍りき。三四町を吹きまくる間に、こもれる家ども
(その圏内にあった家々は)大きなるも小さきも一つとして破れざるはなし。さながら
(そのまま)平に倒れたるもあり
「押しつぶされた家もあるし)、桁(けた)・柱ばかり残れるもあり。門(かど)を吹きはなちて四五町がほかに
(その場から吹きとばして四、五町も遠方に)置き、また垣をふきはらひて隣りと一つになせり。いはむや、家のうちの資材、数をつくして空にあり。
(ことごとく空中に舞い上がった)檜皮(ひはだ)・葺板(ふきいた)のたぐひ、冬の木の葉の風に乱るが如し。塵を煙のごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず。おびただしく
(はげしく轟音が)鳴りどよむほどに
(鳴りひびくので)、もの云ふ声も聞えず。かの地獄の業(ごふ)の風なりとも、
(そのすごさは、これ以上ではあるまいと)ぞおぼゆる。
家の損亡(そんもう)せるのみにあらず。これを取り繕(つくろ)ふ間に、身をそこなひ
(けがをして)片輪づける人
(片輪になった人)、数も知らず。この風、未(ひつじ)の方に移りゆきて、多くの人の嘆きなせり。
(不幸をもたらした)
辻風は常に吹くものなれど、かかる事やある。
(こんなひどいことがあろうか)ただ事にあたらず、さるべきもののさとしか、
(しかるべき神仏の咎めであろうか)などぞ疑ひ侍りし。
(考えこんでみたものです)と「治承の辻風」に人の無常を伝える長明の感慨がある。幸なるべしというべきか、平安の御代に、
「右の手もその面影も変はりぬるわれをば知るや御手洗の神」と詠んだ「昔語りを聞く心地」として、
すでに右の手に数珠を掛けて老残の身を水面に映しながら、全く変貌した自分をお分かりかと神に問いかける鴨長明のことを考えてしまった。
朝、目にしたことは、見知らぬ人が、鳥と蝉が鳴いていませんね、人が歩いていないですね、の問いかけであった。
いそいそと避難所に向かう人映すテレビを観つつ暑さ忘れる

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