目覚めたら、未だに汗が噴出してくる暑い日が続いている。近隣に24時間営業している店舗から回収されるごみを集めるパッカー車の騒音が目覚まし時計の役目をしてくれる。
朝のテレビ番組を観ていたら、エアコンの効いた部屋のなかでじっといるよりは、老人は、少しでも外に出て太陽光に膚を接する努力をしなくてはの至極判りきった話に花が咲いていた。
「君は野中の茨(いばら)の花か 暮れて帰ればやれほんに引き止める マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ(ご縁あらばまたお会いしましょう、大事な人よ。)」とは、沖縄民謡の
『安里屋ユンタ』の曲で原歌は,竹富島安里屋の美しい娘に結婚を断られた村役人が,隣村で別の娘を手に入れ喜ぶという長文の内容の叙事詩であるが、この歌の内容に似たのが、わたしの人生であることを売り物にしていた、竹富村出身のかってのスナックのママに久し振りに、呼び止められた。
振り向くと、車椅子に乗り、介助者に付き添われているではないか。「美」という文字を「うつくし」と読むが、その「美し」が「きれい」の意味に使われるようになったのは平安時代の終り以降であると教えてくれたのは彼女であった。その美貌と教養は品位に充ちていて、
「愛(うつく)しきもの、瓜(うり)に描(か)きたる乳児(ちご)の顔」と、
『枕草子』の清少納言のことばを引き合いに出しては良質な客筋に恵まれいたことを自慢していた。それが今、目の前にいるかっての美女は、「羊+大」で「美」という会意文字があるのだが中国では、肥えていて大きな美味そうな羊の意があると、現在のわたしがそれなのですと、寂しそうに俯いてしまった。
きびしい暑さのなかを太陽光にさらされながら車椅子を背に去って行く彼女ではあった。
ほおずきを水に漬けいて幾日か悲しくなりて涙流しぬ

186

4