秋のお彼岸が過ぎても、また、雨が降り出して膚に寒さを感じる。「今年はどうでしたか」と、四天王寺に彼岸詣でをすませ新世界にやって来たら通天閣の下にある総本家「更科」で仕上げをするのがむかしからのコースになっていたので、その景気動向を挨拶したら、店主は喜んでくれた。大阪の詩人小野十三郎に
「秋冷の空に」と題した詩がある。
「秋冷の夜空につらなる 豆電球のイルミネーションに飾られて 子供の夢のように 君がここに聳えていた遠い昔の藍色の空 又、どこを探しても もう君の姿はなく 動かぬ闇だけが そこに垂れこめていた 長い長い夜 あの日のことも この日のことも しかし今 私が思い出すのは あの動かぬ深い闇の底から 再び君のかたちが はっきりと浮びあがった日だ 人々は明日への希望がよみがえった日だ 歳月の試練を経て 堅いたくましい構築をもて いま秋冷の夜空に光る 大阪の灯台よ 瞬きもせぬ堅い灯よ 生きていてよかった。」と、詩人は、戦争によってその鉄塊を軍部に弾丸にするために供出され、戦後、闇のなかから甦った日の歓びを歌っている。
地元民の献金などでようやく戦後2代目の通天閣再建が持ち出された。当時、西宮にある大学にわが家から通学するには、御堂筋線しかなかった地下鉄の「動物園前駅」まで歩き、「梅田駅」へ、そこから阪急電車でというコースで通ったのだが、地下鉄駅までは、左手東側に建設中の通天閣の鉄骨の積み立てを見て108mの塔の建ち上がるのが愉しみなことであった。
そして、ベッタン(めんこ)、貝独楽(べいごま=ばいごま)に夢中だった子どもたちまでが、
「父ちゃん、ダイヤモンドこーて(=買って)ダイヤモンド高い、高いは煙突、煙突は黒い、黒いは土人、土人は怖い、恐いはおばけ、おばけは消える、消えるは電気、電気は光る、光るはオヤジの禿げあたま」と、煙突(=通天閣)と替えて、通天閣の完成し煌々と光り輝く瞬間を待ち望む、屈託のない歌を歌っていたものだ。
今年の景気を訊ねたそば屋の三代目は、ドジョウを咥えた青銅の鶴を盗まれたことをマスコミの報道などで知った客のお見舞いの挨拶に有難さを覚えお陰さまで忙しかったと、その話題が絶えなかったとか。そして、盗んだ男は捕まったと警察から連絡が入り行って見ると、鶴の胴体は分断され鉄屑になっていたと云う。お客たちは、 伝統工芸の高岡銅器に代表される鋳物の生産が盛んで富山に鉄を引っ付ける職人を知っているので皆でカンパしようではないかとの復興を希う有難い声援があったと言う。 嬉しい温かさが伝わってくる。
真直ぐに建つ通天閣が見詰めいるキチキチと啼く虫聞きいたる

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