よちよち歩きの童女に差し延べた手に冷たさを感じる。きょうで10月も終りである。誰が届けてくれたのか、机の上に小ぶりの葉をつけた蜜柑が10個ほど転がっていた。どこかの庭に生ったものを捥(も)いだものであろうか、温室栽培で年中市販されているものにない、柑子(こうじ)色にかがやく蜜柑に冬の彩りを感じている。
小林一茶(1769−1829)に、
「天広く地ひろく秋もゆく秋ぞ」と、秋を惜しむ句がある。
「沖の暗いのに白帆が見える あれは紀伊国蜜柑船」と紀伊国屋文左衛門(1669−1734)の蜜柑で一代で財を成した商才を讃えた民謡を貧乏俳人は知っていたのだろうか。和歌山県の有田の温州蜜柑は蜜柑中の蜜柑と言われたものだ。その温州は中国浙江省にある地名から出たものとされ、
『日本書紀』の垂仁天皇記に、田道間守(たじまもり)が、不老不死の実がなる木があると知り勅命により、常世(とこよ)の国に苦心惨憺のすえ渡り、その実を持ち帰ったがすでに天皇が亡くなってなっていて、陵墓に植え、自害するという哀れな物語があると書かれている。その実は
「今、橘(たちばな)ト謂フハ是ナリ」との注があるが、おそらくは蜜柑のことで、常世の国とは中国の江南地方を指し、浙江省温州あたりだろうと言われている。
大和の秋を訪ねて行く幾星霜、西ノ京の唐招提寺、薬師寺に近鉄奈良線の大和西大寺で橿原線に乗り換え、一つ目の尼ヶ辻にさしかかると西側に見えてくる陵墓が垂仁天皇陵である。それを囲む堀に浮ぶ小島が田道間守の墓とされていていつも車窓から遥拝するのだが一度だけ尼ヶ辻に下車、蜜柑を一つ供えたことが想い浮ぶ十月のゆく秋が懐かしい。
冬隣る街に鳩来て道つつく無為に一日過ごすべきかな

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