来年、上皇になられる天皇陛下の平成最後の誕生日である。午後、京都での高校駅伝の全国大会のTV中継を恒例により観戦する。年末の商戦が忙しいころでもこの大会の様子が気になり、ラジオ、テレビを通して二時間余りの実況放送に熱中したものだ。もう69回になるのだが、当初は大阪の毎日新聞社前をスタートして浜寺の石津川を往復するコースで、復路の大国町の交差点に差し掛かる頃合いを見計らって自転車で駆けつけ観戦したこともあって懐しい想い出になっている。
折から、右翼の街宣車が、天長節を寿ぐ「君が代」を高らかに流して、高校駅伝の実況中継放送をするアナウンサーの声を掻き消して通り過ぎて行った。
大正13年(1924)のご成婚以来、昭和天皇家は4人の女児で、帝国憲法の第2条には「皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ、皇男子孫之ヲ継承ス」とうたわれていたが、宮内省の発表を受けサイレンが、10秒間隔で1分間ずつ2度鳴って皇太子の誕生を報じ、ラジオは全国に放送を流し、祝賀気分を盛り上げた。北原白秋作詞、中山晋平作曲の
『皇太子様お生まれになった』という
「日の出だ 日の出に 鳴った鳴ったポーポー サイレンサイレン ランランチンゴン 夜明けの鐘まで・・・」との、曲は次の天皇の浩宮誕生のときに歌っていた老人を見受けられたがもう今は遠いむかしのことになってしまった。象徴という天皇の役目を立派に務められた天皇陛下の代に、戦争がなかったことは、将に「平成」という年号に相応しかったことをお慶びしたいことである。
贈られし柚子で作らるジャム舐り年を惜しみてパン食べいたる

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