高槻市にある告別式場への道すがら、様々な想いが去来した。
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在する。」とする村上春樹のつぶやきを、想い出しながら、今朝、彼の死を知った人からその突然の死を知っているかとの、幾人かの親切な挨拶に出会う。そう云えば、この時間、彼は、通天閣の真下にある銭湯の一番風呂に入りに来ていたすがたを想い出すことが出来る。向こうからやって来るわが顔見知りに同じ問いかけをしてみる。知らないと云うので、誰のことかと訊かれ、毎朝、この時間帯に風呂に行くご仁と云うと驚きの表情になった。どこの誰だか知らぬ者同士が瞬時に分るという世界が拓けて来る。それが、新世界の通天閣下での人情劇の舞台になっているのである。彼とは、バブルの頃、会社の希望退職者の募集に有利な要求に応じてもらった退職金の一部を流用して新世界に開いた飲食店を30年近く経営し、今や伝説の人となってしまった。
ある街の詩人の曰くに、 死は人間にとって重大な意味を持ち、古来多くの宗教や哲学を生み出す契機となってきた。プラトンでは死は魂を肉体より解放するものであり、プロチノスはそれゆえ死を善としたとか。キリスト教では肉体の死のほかに永遠の生命たる神からの離反としての魂の死が説明されている。ストア派やエピクロスは死の恐れの克服を課題とし、後者は死は非存在であり、われわれが存在するかぎり死はなく、死があるときわれわれは存在しないと語られている。ハイデガーは死が人間の生の本質を構成していることを認め、人間の現実の存在を死への存在と規定した。サルトルは死の偶然性を強調し、死はむしろ可能性を無に帰するものであるとした熱く説いてくれた哲学徒も若くして亡くなってしまった。
かくの如く古来より生と死の問題は、考える葦であるが故に、人にとっては永遠の命題であるのだ。生と死は隣り合い相反するものであるが一連のものでもあるのだ。
彼は何かの弾みで、 時空を超えてしまったのだ。それがどのような意味を持つのか、残された者にのみ与えられた難問ではある。
高槻の見知らぬ土地の通夜に行くあくまで遠き道のりにして

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