家内の妹が豊中で教鞭を取っていた頃の教え子が、法政大学のグリークラブのOBで、いずみホールで関西大学との 第40回OB法関交歓演奏会があるからと誘いがあって、岡山市からやって来ている。新大阪まで迎えに行き1日一緒に過ごすと、家内が出かけて行ったので留守居をしている。早朝、篠突く雨があって大阪市内は可なり涼しくなっていて過ごし易くなっている。
独り居というのは、楽しい時間を過ごすのに都合の好い。静かに古典文学の文字を齧るのもこのときでもある。
「山城茄子(やましろなすび)は老いにけり、採(と)らで久しくなりにけり、吾児(あこ)噛みたり、さりとてそれをば捨つべきか、惜(お)いたれ惜いたれ種採らむ」 と、旬の時期が終って中身が弾けて、大きな実が残された茄子があったのだろう。それを見つけた童子が目敏くそれにかぶりついてしまった。農夫がその童子の母親に、切って捨てるんじゃあないよ、そのままにしておいてくれ、種を採るのだからと。 ただの茄子を採っておけとの意味ではなく、山城茄子であればこそ、その種を採らなければならないという趣旨の今様が
『梁塵秘抄』に残されどこかの里人の大らかな歌声が、神楽(かぐら)の囃子に乗って伝わって来る。京都盆地は周辺に湿地が広がり、平安時代から茄子はその湿地を開墾した畑でよく育ち現代でも京野菜の代表として持て囃されている。そんなことを考えながら台所の隅に転がっている加茂茄子を横目で眺めているところではある。
八月や上海料理を食べしとう嘲笑されし料理店前

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