朝早く目が覚めたので、何時もの散策のあと、仮眠してしまった。東京から帰省中の孫を奈良に連れて行くと、妻と娘がドライブに出かけて行った。テレビのスイッチを入れると昨夜終った修二会(お水取り)が満行した朝に、「達陀(だったん)」の行で錬行衆がかむっていた帽子を子供の頭に被せて、健やかに育つように願う、「達陀帽子いただかせ」の様子が放映されていた。もう15年ほど前になろうか、孫を連れて東大寺に「達陀帽いただかせ」の帽子を被せに連れ出したところ、今テレビに映されている子どものようにワッと泣き出したことを想い出した。達陀とは、人々の煩悩を焼き尽くすように、堂内で松明が打ち振り引き廻され「心の穢れを焼き尽くし、新しい水で浄化する」という意味があると言われて、なかなか勇壮な行事である。
40年近く前、プロパンガスの業界新聞社を経営し、哲学的なコラムを書いていた後輩と二月堂内陣でその様子を拝観したとき、流石にプロの目で見た火と水の祭典を二月堂から東大寺境内を歩きがてら激論したことがあり、錫杖(しゃくじょう=僧、修験者が持ち歩く杖。杖の頭に鐶〈かん=わ〉がかけてあり、杖をつくと鳴る〉を鳴らしながら東大寺の僧であろう人が付いて来て二人の議論を聴いていた。夜を徹してその行を粒さに拝見して来ただけに真摯なやり取りが千年の境内にこだましていたのであろう。そして、南大門に来た時、またどこかでお遭いしましょうと東大寺の地を大きく錫杖で叩いて右に折れて行った。そのあと、あれは俗物だと呟いたままその後輩も駐車場に去って行った。数年後、彼は卒然と亡くなり、爾後、彼が呟いた俗物の根拠が解されぬままである。
何故か突然想い出したことに春愁の思いにひたっているところではある。
いたくこころ通わぬままに年重ね東京ははやさくらの便り

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