卯の花が咲く 四月がきょうで尽きようとしている。木々のみどりの香りを運ぶ心地よい風が吹く風薫るこの季節をむかしから好ましく思っている。
「風薫る森にニーチエを読みにゆく」とは、だれの句とは知らないが学生時代から頭の隅にずっとこびりついている。
「なぜ生きるか」を知っている者は、ほとんど、あらゆる「いかに生きるか」に耐えるのだとは、実存主義の代表的思想家フリードリヒ・ニーチエ(1844-1900)の格言である。
『ツアラトウストラはかく語りき』に歯が立たず、四苦八苦したことを想い出す。
妻に散歩を誘われてわが家から西への道をとる。今宮戎神社が其処にあった。
「陋巷を好ませたまひ本戎 青畝」の句碑が目についた。陋巷(ろうこう)とは狭くて古い町のことで阿波野青畝(あわのせいほ)の句であるのだが、「十日戎」でにぎわう「本戎」を詠むならば、寧ろ、釈超空の
「ほい駕籠を待ちこぞり居る人なかにおのづからわれも待ちごゝろなる」の短歌に気がつかなかったのかと、先代、先々代の宮司と話したことが懐かしい。神社を出れば木津市場があり、木津勘助を想起する。寛永16年(1639)に近畿一円が冷害にみまわれ大飢饉の様相を呈したとき、大阪城の備蓄米の放出を願い出したが聞き入れられず、私財を投げうって村人に分け与えたのだが限度がありついに「お蔵破り」を決行したことなどから今なお敬愛されている義侠心を残している。
鉄工所から農機具で財を成したクボタの本社の工場跡に建ち並ぶ超高層ビル群を見ながら、この辺の地名「船出町」の古名を偲んでいる。湊町、貝柄町、水崎町、曳舟町、入船町、海道町、岸里、など住吉の浜まで続く太古の海岸線がここにあったことを静かに語りかけてくる。
思わざる花を咲かせる庭がありこの疫災を慰めくれる

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