週末の一月末である。外を望めば春近しの陽ざしにやわらかさを感じる。新型コロナウイルス感染の拡大が収まらず緊急事態宣言の続くなか、春のセンバツ高校野球大会の甲子園出場校の発表もあった。陽が耀けば若者たちの前の通りを闊歩する姿が目立つのだが、不要不急の外出を監視される老人には辛い春の訪れの便りではある。
さて、昨年の秋、子猫を産んだ野良猫がわが庭に迷い込んで来た。産後の体調が思わしくないようなのでダンボール函を与えたら逃げずにジッと養生していたが何時の間にやら地下の倉庫に潜り込んでいた。仕方なく水とエサを与え、トイレのしつけも覚えたので、雨露を忍べる室内で養生したのが効いたのか快気の様子を窺うまでになって来た。猫にも春の訪れが予感出来るのか、ここに来て声を嗄らすまで鳴くようになった。外に出たいのかと鳴いているのかと思ったのだが、1、2回出たらしいのだがすぐ戻って来たので分からなくなってしまった。声を聞いてかっての仲間もあるいは自分が産んだ子もいたのか知らないが呼応したようだが、それもなくなってしまった。しかし、鳴声は今もあり、エサなどを世話する娘が行くとぴたりと鳴き止み擦り寄って、離れると、また鳴く。猫にも寂寞の感情があるのだろうか。様子を見ているところである
例うれば黙って入り来し人を泥棒と呼ぶか猫の顔見る

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