大阪の名園「太閤園」の夜桜を鑑賞しながら食事する催しに誘われた。高齢を配慮して新型コロナウイルスで不要不急の外出が規制されていて、この一年余り自重していたのだが、太閤園が6月をもって営業を終わるというので是非にということで娘が企画してくれた。
この度、運動不足で足腰がかなり弱っているのを見越されて強引に「太閤園」での観桜に誘ってくれたのだ。詩人の室生犀星の長女の朝子さんが書いた随筆集
『花の歳時歴』を書架の奥から引っ張り出して来て、斜交い読みしていたら、以下の一節に遭遇した。
「桜の木は庭には一本もなかった。犀星は桜を好きではなかったのである。桜は咲いている時は美しいが、散りはじめると庭掃除世話がかかるというのが、嫌いな理由であった。(中略)私の家では『花見』という言葉がなかった。誰もお花見に行こうとは言わなかったし、花の季節になってもニュースなので美しい花の様子を聞いても、興味も持たなかったのである。それほど家長である犀星の嫌いなものは、誰いうともなく家の中では、話題にすることを自然と避けていたのである。」そんなことを理由に観桜を断わったのだが、日にちが決まり、予約料金まで支払われて、万止むを得ない状態になっていた。そして、昨日6時半からの食事に、娘たちが車で迎えに来てくれ雨のなかを太閤園に向かう。
@前菜五種盛。Aスープヴィシソワーズ。B牛肉、玉葱、うずら卵の串揚げ。Cイベリコ豚の野菜巻きプロシェット梅肉風味。Dお出汁でいただく特製鯛茶漬け。Eアシェットデセール。と流石に大阪の名店だけに珍味の数々を堪能した。食後は雨も上がり、ライトアップされた桜の木々が見事で、池の周囲から吹き出る湯気が霧となり庭全体を覆うという効果に感銘を受ける。優しい娘夫婦と孫たちに大切にされ、やっぱり来て好かったなと微醺のなかに感じながら家まで送り届けてもらう。至れり尽くせりである。いつまで孫たちの成長を見守っていけるかわからないが、すくすくと素直に育っている姿を時折こうして見せてもらえることは、口にはせぬが有り難いことではある。
何ごとをと滞ることなくと思いつつたわいなく涙出ている


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