一週間近くブログの拙文を書いていない。頭痛がするのでトイレに入り額に掌をあて熱の有無を確かめる。少し寒気がするが、何らの兆候もない。娘は熱中症に罹ったのではと、水を差し出してくれる。新型コロナウイルスの感染を警戒して、不要不急の外出を警戒しているので、熱中症とは考えられないのだが、とりあえず休息を決め込むことになり、就寝することになる。トイレに活けてあった一本の芍薬(しゃくやく)の茎がつんと立ち大きな花のつぼみが目に付いた。
明くる日も同じような状態が続き、体にだるさが取れないのでぐずぐずした終日になってしまい二日続けた入浴もパスする按配である。
日曜日、送られて来た贈りものに父の日であることを気付く。そして、一年で一番昼の長い夏至になっていた。翌日は午後1時に予約していたコロナワクチンの二回目の接種日に当たっていた。一回目のとき、会場までの道のりの途中で横転したことがあるので、今回は車で送ってもらうことにする。コロナによる運動不足で足腰が弱っていることを懸念しての措置ではあるが、会場には年配者が100人近く詰め掛けていて規則正しく係り員の支持に従っていた。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花と 芍薬も牡丹も共に美しい花で、百合は清楚な花であることから、美人の姿や振る舞いを花に見立てて形容することばがある。会場を見渡せば、殆どが女性と見受ける。その昔、きっと美しい花たちであったのだろう。
芍薬はすらりと伸びた茎の先端に華麗な花を咲かせ、牡丹は枝分かれした横向きの枝に花をつける。百合は風を受けて揺れるさまが美しい。そんな花たちの美しかったころを想像する。
これらのことから、芍薬は立って見るのが一番美しく、牡丹は座って見るのが一番美しく、百合は歩きながら見るのが一番美しいという。また、芍薬はまるで美しい女性が立っている姿のよう、牡丹は美しい女性が座っているよう、百合は美しい女性が歩く姿のようだなどと思いながら彼女たちがコロナワクチンを接種されて行く姿を眺めている。とまれ、自分もコロナワクチンの二回目の接種を終えて帰宅。トイレには、例の芍薬の花が大きく開いていた。
瓶に刺すつぼみは今日は花となる芍薬の紅匂い立つかな


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