久し振りである。
「あの世があるのかないのか、訊かれても答えられないが、近頃ようやく『死』は『無』になるのではなく、『他界』に移るような気がしてきた」とは作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんの言である。「いまコロナでどんなに孤独で苦しくても、その苦しみは永遠には続かない」との話も耳にした。月一回第二木曜日の『朝日新聞』朝刊に掲載されていた
「寂聴 残された日々」を愛読するのを愉しみに待っていたのだがその日に訃報が報じられて寂寥(せきりょう)の念いに浸っているところである。亡母も瀬戸内晴美の小説には邪悪なことが書かれているから読まぬようにと自分は読んでいたのを子供には差し止めていた。子供にとっては邪悪なことでも、大人には、田村とし子、高岡智照尼、岡本かの子、伊藤野枝、嵯峨美智子をモデルにした小説は血沸き肉踊る格好な読み物であって特に高岡智照尼の死は98歳で、母が亡くなる5年前のことで、その死を知った老残の母は泣き崩れていた。寂聴とはよく似た人生の100年近い時間をこの美貌の佳人は過ごしたことになる。そんなことを思い寂聴の世代のことを想い出している。
寂しさはその底よりも愛しくとこらえていたり死にし人あり


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