早朝、散策に出掛けようとシャッターを開けて外に出ようとしたら、スッとタクシーが止まった。そのタイミングの良さを驚きながら車を見過ごしてしまう。外はまだ暗く漆黒の闇が辺りを占めている。いつもの道を新世界へと。東の空が明かりが帯びている。
春は、あけぼの。 ようよう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、
紫だちたる雲の、細くたなびきたる。と、「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人」、あるいは「人に異ならんと思い好める人」と評して、紫式部が大いに対抗意識とした清女の「枕草子」の冒頭の部分を思い浮かべて、「枕草子」の研究学者になった同窓の講演会のときのメモの保存がある。同じ短歌部であった。
「日の前1時間半ばかりから暗黒の空もわずかに透明さを加えて濃いはなだ色となり、さらに半透明のはなだいろから浅はなだと変わって、日の出前三、四分前ころから空は一面に白くなりゆくとともに高い雲が西の方からとき色に染まっていて、そのうちに日の出前10分ともなると、東の方から透明な淡青の空色となり
(あかりて)、青灰色の低い雲が下半面を朱(あけ)に染め分け
(紫だちたる)、東の空は強烈な赤蘇(す)おうに塗りつぶされたかと思うと、旭日が遠くたかい空に光条を放射して、瞬くうちに日の出となる。」そんな風景を東方の生駒山越しに眺めながら、平安のその昔、京都東山での描写をした清女の感性を偲んで、妻と散策の足を止めたところである。
山際を遠く離れた遠山に日の出を見つつ春近き朝

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