年の暮ともなればクリスマスである。大学がミッションスクールではあったので静かに賛美歌が流れているのも何ら違和感がない。終戦の10年後のころで、駐留軍の影響もあったのだろうか。下校時に梅田に出れば、「社会鍋」なる街頭に鍋を吊るしてその中に集った献金で慈善事業を行うキリスト教の一派の救世軍が行う募金運動を思い出している。また、傷痍軍人がその付近でアコーデオンを奏でて、わが生活の糧を稼いでいる光景もまま見られたものだ。そんな情景をちらちら足早に眺めて歩いて行く横顔を見ながら、華やかなイルミネーションに彩られて、活気に満ちたクリスマスソングが流れて行く街が後年出現したことが懐かしい。梅田から難波へと御堂筋を南に、日が昏れて千日前へ入れば三角帽子の酔いどれに、「メリーXマス」と声をかけられ、合図しなければ「顔を貸せ」とのいちゃもんをつけられる、怖いクリスマスの街での出遭いもあった。電力不足で停電が跋扈したのだから夜は早く帰宅したものだ。そんな、街でも、朝、外に出ると、あちらこちらのゴミ箱はひっくり返され無惨な快楽のあとの侘しさがあった。昨今では売れ残ったケーキの値下がりを待つ侘しさもすっかりなくなったようだが、そんな移り変わりを想い出しているところではある。
唐突にクリスマスソングが流れ来る何故か哀しき子守歌かな


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