祭太鼓の打ち込みの音に驚いたのか、いっせいに蝉の大合唱が始まった。もう半世紀以上も前からこの光景が続く。太鼓を打っていた子供も、山車を引き、導いていたそのころの人の顔はない。が、街の様相が変わっても、太鼓の音といま歩いている祭行列は懐かしく、年老いた目が潤む。
勉強ばかりして遊ばないと、利口なジャックもバカになると、この太鼓の音に胸をときめかせたものだ。昼過ぎから広田橋の上に出ていた虫を売る出し店(やるせなく、かなしい大阪ことばではないか)で、籠に入ったキリギリスを買って来るのが毎年やって来る夏祭の楽しみだったのだが、風鈴売りとともにその風物詩は今はなくなってしまった。祭の出し店も時代と共に移ろいゆく。夏休みに入って帰ってきた孫が祭の見物にというが、むかしわが見た風景がないのは寂しい限りである。
牡丹に唐獅子・竹に虎、虎追うて走るは和唐内、わとないお方に智恵貸そか、智恵の中山清閑寺、清閑寺の和尚さん坊(ぼう)さんで、坊さん蛸食(く)てへとついた、その手でお釈迦さんの顔撫ぜた、お釈迦さんはびっくりして飛んで出た、エーヤホーヤ、エヤサッサむかしむかしのそのむかし、江戸時代生まれのお婆さんが真似て謡った大阪の夏祭りの囃子歌を想い出している。
打ちーまひょ・・。も一つせー・・。祝うて三度・・・大阪らしい悠長な大阪締めの太鼓の調子ではないか。炎天下の夏祭りの暑さが伝わってくる。
―今日のわが愛誦句
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祭笛吹くとき男佳かりける 橋本多佳子
―今日のわが駄作詠草
・ゆっくりと流れる雲の南側
青春の街いまなきところ

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