『古事記』や『日本書紀』に書かれていない出雲に伝わる神話の一つに国引き神話がある。今ならば宅地造成のことであろう。『出雲国風土記』の冒頭に意宇郡の最初の部分に書かれている。そもそも『出雲国風土記』とは和銅6年(713)、朝廷が地方の文化風土や地勢等を国ごとに記録編纂して、天皇に献上させた報告書なのだが、現存するのは「播磨国」「肥前国」「常陸国」「豊後国」の5つで「五風土記」と呼ばれるのだが、完ぺきな形で残っているのは「出雲国」のみであると言われているようだ。
それによれば、八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)は、出雲の国は未熟な国であったので、他の国の余った土地を引っ張ってきて広く継ぎ足そうとしたという話である。そこで、佐比売山(三瓶山)と火神岳(大山)に綱をかけ、「国来国来(くにこ くにこ)」と国を引き、できた土地が現在の島根半島であるという。国を引いた綱はそれぞれ薗の長浜(稲佐の浜)と弓浜半島になった。そして、国引きを終えた八束水臣津野命が叫び声とともに大地に杖を突き刺すと木が繁茂し「意宇の杜(おうのもり)」になったという。面白いお話であるのだが、現実離れれしたところが、妖怪伝説と繋がるのだろう。
その『出雲国風土記』に「たこ島」という名前で記載がある「大根島」に渡る。鳥取県側から島根県に、中海を跨いで簡単にこの神話の「たこ島」に着く。奈良時代当時は牧場として土地利用されていたようである。その後、島の火山灰土質が高麗人蔘と牡丹の栽培に合っていることが知られて江戸時代からその栽培が盛んになった。雨で伯耆大山の山容は定め難い。矢張り、妖怪の誑かしに逢っているかのような荒天の雲行である。

大根島で売られている高麗人参
「すり切れ人」という妖怪の話がある。「ある人が、遠国に渡ろうとしたが、暴風に遭い、小さな島に漂流した。島人がこの人を自分の家に連れてきた。この人が、フト見ると、この島の者は、背が高い者もいれば、低い者もいる。それに足の踝(くるぶし)のない者、膝から下のないものもいる。島の人に何故かと尋ねると、この島は春雪島といって、年を経るに従って、足の下からすり切れていき、遂には消えてしまうというのである。なかには目ばかりの残っているものもいる。齢200歳などという。」何故か、神話時代のこの国の一端を覗いているようなお話ではないか。そんな連想をしながら水木しげるは、国を引いた綱と言われる弓浜半島から「たこ島」を眺めていたかも知れない。妖怪がうようよしている雰囲気を感じた旅であった。
帰宅すると、叔母の訃報が届いていた。母の一番下の妹なのだが、さまざまな想いが錯綜し今はまとめ難い。日を改めて書くことにする。
―今日のわが愛誦句
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むぞうさに夏帽投げてすわりけり 渋沢秀雄
―今日のわが駄作詠草
・ずぶ濡れで喇叭吹きにし少年期
叔母に見られて叱られしこと

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