紅葉が映る穏やかな流れに定位して、長閑な時の川に流されないようにしていた。することはした。つまり、新しい世代をこの世に生み出そうとしている彼女に全精力を降り注いだのは、ちょっと前のこと。
今は早くも忍び寄る冬の寒さに備え、体力を回復しなければならない。そして、巡る季節を生きて行くのだ。生きることにさしたる意味なんてない。しかし、生きることに価値を見出すことが正に生きることの大切さなのだ。水の中に朽ち果て、また母なる大地に戻るまで。
母親の卵から何百という子供が生まれた。皆、平等に生まれてきたのだけど、生きて行くのは難しい。殆どの兄弟が他のサカナ達に食べられて、運良く生き延びた兄弟も釣り人の針に掛かり命を落としてしまった。ワタシの知る限り、今、こうして生き延びてこれたのはワタシを含めて7匹しかいない。だから、生存競争に生き残ったワタシたちは必ず子孫を残していかなばならない義務と責任がある。だからと言って、生き残ったから勝ちで、生き絶えたから負けでもない。
ポツリ、ポツリとカゲロウが羽化をしている。
もう、腹は満たされていたけど、目の前に流れてきたカゲロウを、ワタシはそっと背伸びをして口に含んだ。穏やかな水面にライズリングが広がるのを見上げていた。
もう、そろそろ昼寝をしようか…。
ヤマメだって、カゲロウだって必至に生きてきた。そして、早く消えてしまった兄弟達も必至に生きていた。いつも川の上流を向いて…。
てな訳で一石を投じて波紋が広がったのではなくて、波紋はワタシのライズリングだったのだ。と、書いたところで何のことやら判らない読者が多いはずだ。(笑)
ワタシはそれでも団塊の世代が好きだ。(爆)
でも、ここらで終止符を打たなくてはならない。
実のところ、団塊の世代なんて、特別に考えることに意味が無いと思っている。だから、ホントウは好きとか嫌いだとか考えたこともない。あえて、「好きだ」と書くのは批判に対し、擁護してあげたい気持ちがあるからだ。
あのブログの作者(笑)も、昨日はついに本音を語ったことだし。まったく、その通り。最初からそういう風に書けば良いものを…。(爆) 知らない人の為に説明しておくけど、彼はワタシの大切な友人です。^^
でも、彼が今感じていることは、ワタシがサラリーマン時代に上の世代に感じていたことと全く同じことなのだから、これは彼も言うように世代の問題ではない。
団塊の世代といわれる人達が(2:6:2の原則であっても)良くも悪くも一生懸命に働いて築きあげたものを、あたり前のように食いつぶしたのは、絶えず、その上に君臨していた上の世代ではないか? 高度成長時代にノホホンとして努力を怠った下の世代ではないか?(スーダラ節や無責任男が流行った時期も、正に団塊の世代の上の世代)
「人口は国力である」を正に地で行った団塊の世代が残した経済功績は賞賛に値するものである。そして彼らが懸命に収めた年金は、彼等が遣う分が無い。誰が悪いのか明白だ。
こんな世代を暖かく見てやっても良いのではないか?(爆) 2:6:2はいつの時代にも、どこの集団でもあることだから。
昭和20年代は日本中が活気に満ちていた。その時代に生まれて育った大勢の子供達が、激しい競争の中でも仲間をいたわり、蹴落とすこともしないで、共に努力していたことは、今思い出してもすばらしいことだった。(それをカンチガイして、仲良しクラブを作ってしまうマイナス思考型もいるが)
そして、当時の子供達は忙しい親達に放任され、子供達だけで生きる術を学んだ子供達でもあった。
そんなことで、ワタシは団塊の世代と言われ続けた人々を擁護する。…してあげたい(笑)
でも、いらない2割ばっかりが上に居たら困るよねえ。(爆)

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