その日、私は第1日曜日が休日だということをすっかり忘れていて、午前中に二人の予約を入れていた。昨晩になって、そのことに気づいたが、それはそれで良いことだと思った。
朝、家を出る時に2月とは思えない暖かい日差しを受け、空を見上げながら午後からどこかへ出かけてみるか、と思った。最近、治療に訪れるお客さんとの出会いに縁を感じることが多い。ある人の紹介で来てくれた人と話しをしているうちに、実はその人と自分は会うべきして出会ったのだと感じることが多い。人と人が出会うことや、自分に起こる出来事は元々そうなるように出来ているのだとしか思えない。偶然と思うことも良いのかも知れないが、必然と考える方がより力強く生きて行けるではないのか…。
さて、仕事を終え、家で昼食を終えた後、「どこかへ出かけようか!」と独り言のように、また誰かに語りかけるように言った。3匹の成猫は絨毯に寝そべってうとうとしている。7匹の仔猫たちは部屋中を駆けずり回ったり取っ組み合いをして遊んでいる。
女房が「じゃあ、準備しよう」と立ち上がった。いつになく早い決断を促したのは、やはりこの青空と暖かい風であったろう。
「どこへ行こうか?」
「西の方がいいな。帰りに西日に向かわないように」
「湯布院? 安心院かな?」
どこでも良かった。ただ、こんな日は海が綺麗だろうから別大国道を走りたかった。日出と杵築に行くことにした。午前中に行われた「別大毎日マラソン」のせいか大分に向かう車線は渋滞が続いていたが、別府方面の車線はスムーズに流れていた。右手に広がる別府湾は予想通り、波一つ無くて陽光にキラキラと輝き、平和がそこにあった。高崎山の向こうに広がる別府の街は、自分の意識以上に大きく近代化されているように見えた。その奥に幾恵にも重なる山並は春霞みに包まれて、また一段と美しかった。
陽光と霞みが程よくバランスをとって美しい光景を創っている。そして、その光景の中に生きる人々もその恩恵を受け、少なくともその日、その時だけは心穏やかに幸せを感じているに違いなかった。
日出の街中を通り、大学時代からの旧友の家の前を通った。偶然遭えば、寄って話しをすれば良いし、そうでなければわざわざ訪ねることもない。無事であればそれで良い。学生時代を共に過ごした友人とは、いつでも気兼ね無く付き合えるだけの深い気綱がある。洗濯物が乾された駐車場に車は無かった。
日出駅前の一階がコインランドリーになったマンションの駐車場に、見慣れたステーションワゴンが停められていた。彼も最近会っていないが…。
杵築市の街並みに入る錦江橋の手前を左に折れてみた。高校3年の始めに杵築高校に転校し、たった1年だけの濃縮された受験時期に、この転校生をとても大切にしてくれた友人が居た。彼は現在、杵築市役所に勤めているはずだ。卒業式の晩に彼と二人で初めて飲んだウイスキー。その彼の家はどこだったのだろう? 探したが40年の歳月はそれを可能にするはずもなく、また見付けたとしても今はまだ会う気も無いのに、その面影だけを探した。
7〜8年振りに訪れた杵築の城下町は大きく改装され道路が2倍以上にも広がっていた。やはり同級生が経営する楽器店は、こんなちっぽけな町でそれでも頑張って残っていた。通いなれた坂道を登り、寺町通りを走る。こんな狭い道路だったのだなあと思った。裁判所の隣に検察庁がある。その敷地内に2階建ての家があって、そこが我家だった。父は検察事務官だった。
道路を隔てて検察庁の前に同級生の女の子の家があった。可愛い子だった。私は彼女の後姿をみながら登校するのが好きだった。
そう言えば、転校して初めて学校に行った始業式は、不安となにやら判らない期待とで一杯だった。多分、父親から最初に職員室に行くように言われていたはずだが、私は大勢の生徒達がゾロゾロと入って行くのに釣られて体育館に入ってしまった。そこで3年の列の後ろにテキトウに座って始業式を受けた。始業式も終わり、全員が教室に入っていった。私もナントナク付いて行き、予め聞いていた教室の前の廊下に立っていたら、教室の中がザワザワし始めて交互に窓から私を見るようになった。
「転校生や!」という声がいくつも聞こえた。
そのうちに、1人の男子生徒が「ここに入っときよ。おまえん席はここや」と言って1番前の空席を指差した。私はニヤケながら教室の前に立ち、「高田高校から転校してきた〇〇です。よろしくお願いします!」と自己紹介をした。どっと拍手が沸き起こり、ゆっくりと席に付いて、私はホッとした。
しばらくして、担任の先生が汗を拭き拭き教室に入ってきて、「いやあ、今日来るはずの転校生が来なくて遅くなってしまった」と言った。誰かが「先生、そん転校生はもう来てそこに座っちょんで!」と言った。キョトンとした先生の顔を見て教室に爆笑が起きたその瞬間から、私はこの教室の仲間として確約されたのだった。
その1年間は私の中で忘れられない、とても充実した年だった。向かいの家の女の子のお母さんは、私に「この子と仲良くしてね、家に遊びに来てもいいからね」と言ってくれたが、私はその子と話しをするのが恥ずかしかった。一緒に写った写真が今もある。当時の心模様が見て取れる表情をしている。
さて、その懐かしい通学路を下がっていくうちに道に迷って方向感覚が無くなってしまった。昔歩いた道を今クルマで辿るのは難しいものだ。変わったモノと変わらないモノが混在している。それは意識の中も同じことだ。
ここまで来て、後は南こうせつ氏の御殿でも眺めて、ある老健施設を見て帰ろうということになったが、こうせつ氏の家がどこか知らないので、またもや見逃すこととなった。見たからと言ってどうなるものでもないのだが…。
守江の海は干潮で、ずっと広がった輝く干潟の向こうに海苔の養殖らしい竹の棒のシルエットが印象的だ。この干潟で真夜中に一緒にウナギ釣りをした友人は、大学を卒業してすぐに結婚をして、幼い子供を残したまま杵築を照らす星になってしまった。
道沿いにある「総合ケアセンターひまわり」は知人が施設長をしている。その施設は、日頃の喧騒を忘れたかのように穏やかな干潟風景に溶け込んで休んでいた。なんとなく安心をして杵築の街を離れた。
ただ1年間を過ごした街をサッと通り過ぎただけなのに、こんなにも気持ちを豊かにしてくれたものは何だろう。それはきっと、一生懸命に過ごした時が与えてくれるモノ。
いつも時は過ぎ去って教えてくれる。だからこそ、今、その時を、その状況を受け入れなければならない。その心構えが、「なるべくしてなる」良い状況を、良い出会いを導いてくれるのだ。
人は穏やかに輝く海に平和を見ることが出来る。春霞に包まれた街並みと山並みの融合に心を融かすことが出来る。空に浮かぶトンビの舞に希望を見出すことが出来る。
感じよう! 森羅万象を感じよう!
今、我々は生きているのだ。

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