ううむ…。
嬉しいような、淋しいような…。
仔猫が7匹も産まれて、全部で11匹の猫屋敷になった我家も、可愛いとばかりは言っておれず、地元の有力紙「大分合同新聞」の「ぶんぶん広場」というコミュニティ欄に「仔猫を貰ってください」と写真付きで出したのだった。
昨日の夕刊に出たのだが、これがなんと午後4時前から連絡が殺到し、昨晩のうちに3組が家に来た。うちの子は、本当にどれもこれも可愛いので、皆さん「これも可愛い、あれも可愛い」と順番に抱っこをしながら、1匹ずつ連れて帰った。
電話連絡は結局、昨晩だけで30件もあり、女房は今日も朝から対応にてんてこ舞いだ。
ところが今朝のこと、いつものように女房が庭のプランタンに水をやっていたら、シャム系の仔猫が座って女房を見上げていたそうな。ビックリして家の中に連れてきたが、家にはちゃんと4匹の仔猫が居る。
「アレレ…?」
ううむ…。どうやら昨晩連れて帰った人が、今朝そっと戻しに来たらしい。たぶん、家族に反対されたんだろうけど、事情を話してくれれば何ということはないのにね…。でも、気持ちは良く理解出来る。それに近所に捨てたのではなくて、戻してくれたんだもの。
まあ、事情あって戻って来たけれど、貰い手は多すぎるほど居ることだし、まあ、いいか!
親猫のエルザが完璧なシャム系だから、うちの子はみんなブルーの瞳。身体の模様は4匹がシャム系で、残り3匹は白い体毛に顔と足にうっすらとグレーの縞が入っている。真っ黒で長い尻尾にはどれもに白く細い横縞。
ううむ。可愛い。
みんな幸せになっておくれ。可愛がられるんだよ。
ところで、昨日当院に来られたお客さんは気心の知れた人。女性なんだけど、ふと
「早く風になりたい」と言った。
ワタシは「ううむ…」と心の中で唸りつつ、「ほんとは早く土になりたいんやろ?」と冗談にしてはキツイことを言った。「ははは。そうかも知れない」と言う女性に、ワタシは「あなたは充分『風』として生きてるんじゃないの?」とフォローした。
ワタシは風が好きだ。ホームページにもブログにもいたる所で「自分は風だ」または「風のように…」という表現で書いている。また、自作のバンブーロッドの名称は「風」で、「風116」とか「風117」という通し番号を使っている。
昔より多くの人が風のように生きることに憧れのようなモノを持っている。「風のように」とはどんなことだろう? 風流、風評、風来坊…。
ここは風流について語らねばならない。風流とは、自然に在るものや生けるもの、四季の移ろいなどに目を向けて愛することだと、ワタシは解釈している。そして、それは「ふうりゅう」と呼ばれるが、実はそれこそが
「かぜりゅう」の生き方ではないのか?と思うのだ。
世に在るもの、自分の身の回りにおきること、すべてをあるがままに受け入れて前向きに生きること。それが「かぜ流」の生き方であり、風になるということである。
だからワタシは風である。
そして、「風になりたい」と言ったご婦人、あなたもりっぱな風です。
爽やかだったり、厳しかったり、冷たかったり暖かだったりしながら、絶えず新しいものを生みながら動いている。
そして、たまには凪ぐのも必要です。
快方の森カイロプラクティック院で凪いでいれば、また新しい風になることが出来ますよ。(^^)

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