やっと判った!
もともと調べる気も無かったけれど、以前、大分では珍しく広葉樹の原生林が残る黒岳のふもとの男池(おいけ)の湧水に行った時に見つけた珍しい蝶。
(2007/10/9 「強木抱大岩」参照)
大分の
知的大人の情報誌、月刊
『セーノ!』の11月号に姫島の記事の中で紹介されていました。

(セーノ!さん、奇麗な写真なのに写りが悪くてごめんなさい)
この蝶は中国や東南sジアから飛んで来る渡り蝶で
『アサギマダラ』と言うのですね。
大変珍しい蝶で良い環境を選んで飛んで来るらしい。姫島や黒岳に来るのもうなづけるよね。
そういえば、この
『セーノ!』。12月1日発売号で、
初代かぐや姫メンバー森進一郎さんのお店「十三夜」の特集があります。森さんを囲む集合写真の中央付近にワタシが写っております。^^;
みなさん、
『セーノ!』は買って得する雑誌です。買って見てくださいね。
さて、そんなことで連休の真っ只中、ブログの訪問者も少ないし治療院も暇です。今日はボチボチだけど、昨日なんて好天に恵まれ、ましてや勤労感謝の日。予約は入ってないし電話もかかってこない。
ドライブに行くことにしました。
で、何故か
宇佐神宮。何回行っても行きたくなるね。それとあわよくば宇佐の元宮、大元神社にも行ってみようと・。
宇佐神宮。県外からの観光客が多かったです。

正面鳥居。とにかく広いので正殿までにかなり疲れる。
宇佐神宮で何が不思議って、この祀られている神が不思議。
一の御殿が八幡大神(応神天皇)、二の御殿が比売(ひめ)大神、三の御殿が神巧皇后(応神天皇の母親)。で、中央にある二の御殿が一番りっぱな造りになっているけれど、この比売大神が諸説あるが
卑弥呼のことだとも言われている。
それで、頂上にあるこの正殿はじつは亀山と言われ、どでかい亀山古墳の上に造られている。大正期の正殿の建て替えの折りに、御殿の下から大きな石棺が出てきたが、恐れ多いので触らずにそのまま建て替えたと言われている。卑弥呼の墓と言う説もある。
ちなみに宇佐の南に位置する安心院は大型のストーンサークルがあちこちに数多く有り、その集中度と数は圧倒的に全国一である。この信仰を司ったのはもちろん卑弥呼であると言われる。
この宇佐、安心院を中心とした文化、勢力が当時いかに巨大であったかは歴然としているが、全国八幡社の総本山であり伊勢神宮と並び、日本の皇室と深い関わりがある宇佐神宮がそれほど全国的に有名でなく、また地元でもその重要性を隠してきた節があることが、この神宮の特徴である。
元宮である大元神社の頂上は禁足地になっており、近年は関係者さえも入っていないようだが、頂上には巨大な三本の石が立っているらしい。安心院のストーンサークルとの信仰の通信拠点みたいなものかも知れない。
いやはや・・。
そして、いよいよ我々夫婦は宇佐元宮大元神社へ行くべく御許山を目指した。ここは一度だけ下の集落から歩いて登ったことがあるのだけど、その日はクルマで行ける所まで行って、あとは歩くつもりだったが・・。
どうにも道を間違えたのか、以前登った時よりも道は狭くクルマ一台がやっと通れる幅しかなくて、急角度、急カーブ、おまけに舗装はしていなくて砂利が滑る。
まさか、まさかこんな道じゃなかったと思ってもクルマを停める場所もUターンするスペースもない。クルマがフルタイム四駆だから登れたけど、普通のクルマでホントに登れるのか? カーブなんてクルマの後輪はギリギリだし踏み外したらもう終わり。絶対に身動き出来ないだろう。
怖かった!(^^;
降りる途中の
唯一なだらかな場所で一息いれてパチリ。 向こうに見える低い山の遥か下に集落がある。この道が見えなくなるカーブから急勾配、急カーブの細い道を下るのだ。下りはクルマの重心が前に行くのでギアを一速に入れていてもブレーキ踏みっぱなし。これまた怖いのだ。
気合で昇降したけど、神経を使いました。疲れた。^^;
皆さん、絶対に乗り入れないように。この道路はあくまで登山道です。神社の関係者は使っているらしいけど。
他にもっと安全な車道があるようです。いずれのルートも途中からは徒歩で登ることになります。
で、大元神社の報告は? いや、これがもう神経すり減らして登りきった所に駐車場があって、その奥に鎖が張っていたので、ただそれだけの理由でそこから登るのを止しました。 山頂の神秘的な神社には、というよりこの神の山にはもう人の気が無いからです。
実は登る途中に、かなり下の所で下ってくる軽の四駆とすれ違ったのです。たぶん、あれは神社の関係者がその日の用を終えて帰る途中だったようです。
あと、徒歩10分位で行けたのに、その気が失せる程、その道は危険でありました。もともと簡単に人を寄せ付ける場所ではなかったのです。昔も今も・・・。

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