開場になるまでのヒトトキを長閑なリアス式の海を眺めながら語らっていた。
五月の海は穏やかにさざ波が揺れ、そして輝いていた。
友人や女房や妹とこのまま海を見ながら時の流れに身をまかせたかったが、太陽はやがて山の端に隠れる為の荘厳な儀式を始めた。
駐車場に着くなり会わねばならなかった友人と偶然会い、連絡の手間が省けた。
そのまま防波堤に近寄り穏やかな海と透き通る岸壁の海水を見ていたら、そこにも知人というか当院の常連さんが居た。
伊勢正三 スペシャルライブin津久見〜ただいま〜 と名付けられたライブの会場、津久見市民会館でのこと。
正やんが「かぐや姫」や「風」というスーパーグループで一躍頂点に立ち、その後もソロとして日本の音楽界に新しい風を送り続けて以来、ずっと津久見の同級生を中心にした人達が正やんの津久見ライブを願ってきた。
まして、「なごり雪」や「22才の別れ」「海岸通」を始め、多くのヒット曲は津久見の海をイメージして作ってきたと口にしだしてから、益々、津久見で故里ライブを望む声が高まってきた。
そこへ、大林宣彦監督の「なごり雪」や「22才の別れ」の映画撮影。
地元の人は簡単に「ライブをしてくれ」というけれど、正やん程になると、そう簡単に「そうですか」とはいかない。
今回は長年の双方の想いがようやく一致したライブ。
だからスペシャルライブ。
『センチメンタル シティ ロマンス』という超上手いグループをバックバンドにして最高の音、最高の技術、最高の音響照明という正やんならではのコダワリのライブが実現した。
ワタシは最前列で正やんの斜め前に座っていたけど、正やんのギターテクニック、魂を込めた歌、身体の躍動はもちろん、心の中まですべてが見えてくるようで最高の気分でした。
いや、最高なのはワタシの気分だけでなく会場すべて、そしてなにより伊勢正三が最高でした。
ワタシと一緒にフライフィッシングをする時の正やんとは別人のような、いや、でも同じような、複雑な気持ちでしたが、ライブ会場では当然、超一流ミュージシャン伊勢正三であり、ワタシは一人のファンであり、ただただその凄い演奏や魂の歌に感動したのでした。
最前列は明るく、舞台から顔もはっきりと見えているはずで、正やんは最初からワタシの存在に気づいていたはずですが、当然ながら何の反応もありませんでした。(笑)
いや、ただシットリと歌っている時、
5秒位の長い間、表情を変えずにワタシの目を見つめていて、ワタシもその意味が判らず無表情で見ていた、ということがあったのですが、自意識過剰で済ませるべきなのか?(笑)
正やんがこのブログを読んだら、「そんなことはしてないよ」と苦笑いをするかもね。
ワタシはこの時、正やんが
『〇〇さん、これが僕だよ。良く見ていてよ』と言っているように感じたのです。
正やんはやっぱり最高のミュージシャンだった。
特にこの津久見でのライブは今までに無いような故里愛が溢れんばかりのライブだった。
そして、ワタシは思うのだった。
また正やんに教えられたと。
ワタシは治療家として誰にも負けないつもりだし、頼りにしてくれる人々の期待に必ずや応えるつもりで全力をつぎ込んでいるけど、もっともっと努力してより高いレベルを目指さねばならない。
自然体のようであり、優しいようであり、内心、いつも何かにツッパッテいて、何かに怒っているワタシ。
ワタシが誇れるのは感動出来る心だけなのかも知れない。
それにしても・・
津久見の海はどうしてこんなにも透き通っているのだろう?
綺麗な海を見た瞬間、すごく嬉しいというか心がトキメイタ。
セメントの町、石灰岩の町、貨物船ばかりの海。
そんな表の印象とは全く違う、昔ながらの美しく穏やかな海が広がっている。
正やんが子供の頃、毎日眺め釣り糸を垂れていた海がそこにあった。
吹く風も潮の香りもカモメの鳴き声も、そして夕日に輝くさざ波も
すべてが変わらずにそこにあるという現実にときめいたのだろうか?
そして、その場で感じるすべての事象が伊勢正三の感性を育て
名曲へと生まれ変わったという想いに心が動かされたのだろうか?
今まで、幾度となく見てきた津久見の海だけど
ワタシはその日の海と
伊勢正三ふるさとライブをしっかりと刻み込んだ。
正しいものの見方、考え方から生まれたもの
それが真のカイロプラクティック
今からでも遅くない
長い間、痛みで苦しんでいる人も
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快方の森カイロプラクティック院

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