最近、残念に思ったこと。
1) ya☆chariが前座を務め、本番セッションまでした杉山清貴ライブに行けなかったこと。
(さっきまで佐野元春ライブって書いていた。いいかげんな男です^^;)
案内まで貰っていて、行きたかったけど忙しくて行けなかった。
2) これまで、続けて行っていた府内フォーク村十三夜での三々五々ライブに行けなかったこと。
3) 縁あって当院に来るようになった人が開催している「風の音書店」という音楽と物語を融合させたライブに行けなかったこと。
最近、稀なる喜びを感じたこと。
高校3年の時、仲が良かった杵築の友人から43年振りの電話を貰った。
話せば長い物語がある。
ワタシは高校3年という大切な時期に高田高校から杵築高校に転校し、大学入学までのたった1年間だけど、とても濃い時間を杵築で過ごした。
27日の日曜日に、杵築から治療に来た人がいた。聞けば、杵築市役所勤務だと言う。
ワタシは言った。
『杵築市役所には仲の良かった同級生がいるんだよね。〇〇という名前なんだけど・・』
『〇〇さんには随分とお世話になりましたが、数年前に早期退職をされていますが、今でもほぼ毎日会うんですよ』と彼が言った。
ワタシの杵築転校は初日から波乱?に満ちていた。
新学期が始まり、ワタシは一人で始業式に向かった。父から
「まず、職員室に行って〇〇先生に挨拶をするように」と言われていたにも関わらず、生徒達がゾロゾロと体育館に入って行くのにつられて、体育館に入ってしまったのだった。少し緊張していて、職員室に行くことを忘れていた。
『1年は左の端に2年は真中、3年は右の端に座りなさい。1組から順番に並ぶように』と、先生がマイクで叫んでいた。
『3年はこちらか・・。ええと、クラスは〇組だから、この辺かな』
適当にそのクラスの一番後ろに座って話を聞いていた。
やがて、始業式も終わり、生徒達はゾロゾロと自分のクラスに向い、それぞれに分かれていった。
やっぱり、その後を付いて行った。
クラスの前に行き、廊下で
何かを待っていた。他のクラスは既に生徒も先生も揃って、授業が始まっていた。
そのうち、教室の中がザワザワしてきて、廊下の窓を開ける者もいた。
『誰かおるで・・。転校生やな』
次々と窓が開き、次々と生徒達がワタシを確認していた。
そのうちに誰かが窓からワタシに声をかけた。
『あんた、転校生やろ? まだ先生が来んけ教室に入っちょきよ』
ワタシは促されるままに教室に入り自己紹介をした。教室中に大拍手が響き渡り、ワタシは全員の笑顔と明るさによって未来を保障される形で転校生デビューを果たした。
『ほら、ここん一番前の空いた席があんたん席じゃ』と誰かが席の案内までしてくれた。
ほどなく・・
汗をふきふき困った顔をした担任の先生が教室に入ってきた。
『大変じゃ。転校生が来るはずやったに待てど暮らせど来んのじゃ』
『先生。転校生はもう来て、ここに座っちょるでえ』
教室がドッと湧いた。
『君が〇〇君か?』
『〇〇です。よろしくお願いします』
ワタシはノーテンキに挨拶をした。
さて、そういうことでワタシの大学受験を迎えた大切な1年間が始まった。
そして、ワタシなりの努力も始まった。
転校生は注目されているから
ダメな奴では居たくない。授業中は以前では有り得なかった位に積極的に手を挙げて
「出来る子」を演出した。
担任が物理の先生だったので最初のテストこそ70点弱だったが、2回目からは95〜100点という有り得ないことまでやってのけた。
しかし、数学だけは2年の時に投げだしていたので国立大学は選択技からはずれていたのだった。
歴史が古く、どこかバンカラなイメージもあった進学校だったが、級友達はこの軟弱な転校生をかなり親近感を持って接してくれた。
そして、その中でも4人の男ととても仲が良くなり昼夜を問わず行動を共にしていた。平日の夜や休みの日は一緒に勉強をするという名目で集まり、なんやかやと遊んでいた。
勉強も遊びもすごく充実して、今だにもっとも記憶に残っている1年間が過ぎた。
卒業式が終わった後、
そいつが誰かから調達していたタバコを1本くれた。
『もう卒業したんやからな!』
2人で校舎の陰でタバコに火を着けた。初めて吸ったタバコは苦くて辛くて、一口吸い込んだだけで頭がクラクラとした。そして少しだけ大人びた気がした。
『今晩、うちに泊まりに来んか?』と彼が言った。
『2人で卒業の儀式をしようや!』
その晩、彼はウイスキーとチョコレートを用意していた。
飲み方も知らず、チョコレートをかじりながらウイスキーをストレートで飲み、吐いては飲み、朝まで語り明かした。
ワタシは、そんな話を市役所の彼にした上でこう言った。
『彼にワタシのことを伝えてよ。きっと喜ぶはずだから』
『今まで、何度か市役所に連絡をしようとしたけど連絡が付かなかったし、彼の実家の傍をうろうろしたこともあったけど、それ以上のことはしなかった。そこまでしなくても、いつか会う日が来ると思っていたよ。その時を待てばいいんだと思っていた』
『はい。今日にでも伝えます』
『
「機は熟した」と伝えてよ』
翌日、その彼から電話があったのだった。
ちょうど、お客さんが居ない時で良かったけど、彼は次から次へと話を続け、43年の時を埋めようとしていた。
とても明るくて気がねなく話すのは若い頃と一緒だった。転入生を分け隔てなく迎えて大切に付き合ってくれた、あの頃の彼が電話の向こうに居た。
来月初旬に高田高校の同級生と恩師を交えて8人で還暦同窓会の前哨戦?をする。
ワタシが高田を離れて杵築に転校する時にクラス全員がアルバムに寄せ書きをしてくれた。
その恩師は
「杵築の道は高田に通ず」と書いていた。
転校してから長い間、みんなに不義理をしていたように思う。
でも、長い年月を経た今、高田にも杵築にも大切に思える友が居る。
そして、その恩師もワタシに対して、昔も今も特別な存在として接してくれる。
『おい、〇〇(名前)。おまえは仙人じゃ!』と授業中に言って以来、その恩師はワタシを『おい、仙人!』と呼ぶようになった。
ワタシは今になって、つくづく噛みしめている。
縁が取り持つことの意味を。
「杵築の道は高田に通ず」の言葉の意味を。
正しいものの見方、考え方から生まれたもの
それが真のカイロプラクティック
今からでも遅くない
長い間、痛みで苦しんでいる人も
すぐ目の前に必ず希望が見えてくる
根本原因を正す
快方の森カイロプラクティック院

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