朝、すさまじい烈風が吹き荒れ、蒼くあるはずの空は黄濁していた。偏西風から逃げるように原生林の山、九重連山の黒岳に足を踏み入れた。
前夜、大分市内で有志による今年二回目の同窓会があり、5時間以上に渡る楽しい酒の席で、高校時代から見ると43年振りに会う友もいて、話せば話すほどに長い時の空間が埋まり、聞けば聞くほどにジグソーパズルを埋めていくように人生の絵が完成していくようだった。
同窓生というのは何物にも代え難く有難い存在だと、あらためて感じたのだった。もちろん、それは己の家庭や仕事などを大切にしながらも、尚、そういう機会に価値を見出すという共通した認識があるもの同士だからに他ならない。
もっと早く出発するはずで、一緒に登山をする友をホテルに迎えに行くと、そこには昨晩一緒に飲んで急遽、同じホテルに泊まった43年振りの友もいて、何かと話しているうちに遅くなってしまったのだった。
まだ、葉を落としたままの広葉樹の森は、苔むした大岩や木々を明るい春の陽が照らし、とても綺麗だ。それでも4か月振りの登山は、昨日の深酒?も影響しているのか、なんとなく足取りが重い。
いつしか、青空が広がっている。
森の中には音が無い。さっきまで聞こえていた数々の野鳥のさえずりもいつか消えていた。
いきなり空がゴオーッと鳴る。山間を風が渡り森が鳴っているのか? 廻りの木々を見渡し山の端を見上げても何一つ動いていない。やはり、空が鳴っているとしか思えない。その日の強い偏西風は低空で黄砂を運び、超高度でジェット気流を作っていたに違いない。
苔むした大岩が連なり、場所によっては柔らかな腐葉土に覆われ、数々の種類の木々や野草に包まれたこの原生林は、なんてすばらしい空間なんだろう!
友と二人で、ある時は語らいながら、ある時はふと黙り込んで黙々と歩を刻んでいく。
黙っている時、ワタシはいろいろなことを考えている。
何千年も何万年も生死を繰り返し生き続ける森のこと。その中で生き続ける動植物のこと。そして、そのような森に入っていく人々のこと。自分のこと。自分の人生。
そして、ふと、前を歩く友は今、何を思っているんだろう?と思ったりもする。でも、それがいかに無駄で余計なことであるかに気が付く。我々は今、深い広葉樹の森の中でただ歩き、登っているだけなのだ。そこに何も求める答えはない。
自然の奥中で深く包まれている時、自然の在り様に合わせない限り無事で居ることはできない。「自然に・・、自分の行動、自分の考え、すべてが自然であるように」という、いつもの答えが脳裏をかすめる。
私は突然、友に話しかけた。
『あのな。先生はあん時のこと、今でもずっと気にしちょんのや。もう、43年も経つんやで』
『へえ? それは知らんかった』
『だから、オレは先生に言うたんや。先生、もう43年も経ったんですよ。誰もが、その間に家庭や仕事やいろんなことで楽しかったり苦しんだりしながらそれぞれの人生を送ってきたんです。そんな昔のことは誰も気にしていないと思いますよ、とな』
『ははは、まったくその通りやな』
『だけど、先生はあいつの気持ちを聞きたいち言うけん、オレはあいつに聞いたんや』
『ほう!』
『先生はあん時のことを今だに気にかけちょんのや。43年前のことを。あんたは、その先生の気持ちをどう思う?ち聞いたら、あいつは「その気持ちは嬉しい」ち言いよった』
『ふむ』
『だけど、私は今でもわだかまりがあるち言い寄った。どげえ思う?』
『43年も心配してくれてたことが嬉しいちいうのは、ちょっとどうかのお?』
『そうやなあ。それにどんなわだかまりがあるんか知らんけど43年も消えんもんかなあ?』
その時、静かな森に「コツコツコツ コツコツコツ」とリズム感のある音が響いた。「何だろう?」と思いながら、すぐにキツツキが木の幹を叩く姿が思い浮かんだ。また同じ音が響いた時、友が「キツツキやな」と言った。
私が『そうやな』と言うと、『アカゲラやろ』と友が言った。
アカゲラかアオゲラか、はたまたクマゲラか・なんて思いながら石川啄木を思い出した。キツツキは「啄木鳥」と漢字表記することを思い出したのだった。
そういえば、石川啄木が、臼杵の人の話しだったかな? ある文芸作品を投稿していた男を女性と勘違いして、ずっと送り続けていたラブレターが今でも残されているんだなあ、なんて思いながら、岩から岩へと渡っていった。
黒岳に踏み込んだのはこれで三回目だった。一度目は一昨年の秋。当日の朝まで豪雨が降った日、登山道が落ち葉で埋まり迷いながら風穴までの単独行だった。二回目は去年女房らと四人で平治岳に登った時。
最初の単独行の時には風穴から一時間近く続くガレキの急登に恐れをなして引き揚げたのだった。そして、今回はどこまでも続く急登も友の先陣で一歩一歩登っていった。
どんなに険しくても、どんなに遠くても、どんなに高くても一歩ずつ進めば必ず到達するという単純な原理を登山は教えてくれる。
私は今、毎晩本を読んでいる。息子が高校生の頃に買った『太公望』だ。8年程前に読んだ本だけど、長い年月をかけ知と技と力を貯え、多くの仲間を得て、巨大で強力な商王朝を倒した呂望という人間の生きざまのホンのわずかでも身につけられたらと切に願う。
私は還暦を迎え、希望と目標と憧れがある。
達成できれば最高だけど、出来なくてもそれで良い。それに向かって登っていく。
天は私をいつまで生かしてくれるのだろう?
いつか黒岳の原生林の一部になりたい。
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