夜、寝る前の30分と、朝、起きてからの30分を読書時間に充てている。
わざわざ意識してそうしているのではなくて、いつの間にかそういう習慣になってしまった。
本来ならば、そして初めて読む本ならば一気に読み上げてしまうのだけど、そういう習慣になったのはベッドの横にある本棚の本を適当にひっくり返して読んでいるからだ。
他の部屋の本棚の本とか、また違う部屋で箱に詰め込んだままの本とかも、たまには引っ張り出すのもいいけど面倒くさい。
で、今は松本清張の
「ゼロの焦点」が朝晩の
「ベッドの友」になっている。
ところが・・・
今までに何度か読んでいるのに、この本の内容を全然覚えていないことに気がついた。
なんてこった!
読み進めていくほどに、「ああそうだった」「確かに以前に読んでいる」と思うのだけど、その先の展開やら終結をまるで覚えていない。こんなことは他の本ではあまりないと思うのだけど、ちょっと不思議な感覚。
つまり、起承転結の起承ばかりに心を奪われて転結には「ふーんそうだったのか」位の感想なのかも知れないな、と思うのだった。
もっと違う見方をすると、全体の起承転結ではなくて、展開していくその場面場面の起承転結みたいな部分(そんな部分があるだろうか?)にすごくとらわれている自分がいるのではないだろうか?と思うのだ。
次々と展開していく中での
人の心の描写と
周りの景色の描写が入り交ざり、というか、
心模様を風景描写で例え、景色そのものを心の描写で表現するという手法が随所に有り、そこで
『フムフム』するものだから、結果そのものを「ふーん、なるほどね」と済ましているから内容を覚えていないのかも知れない。(その
フムフム手法は、伊勢正三氏の書く詩と同じ。つまり正やんの詩は
純文学である。違いがあるとすれば、正やんの作品は心の奥底に沁みわたり忘れられない。それは長編小説と集約された短編詩の違いかも知れない)
そんなことで、読み終えるにはあと2、3日の朝晩を迎える必要がありそうです。
さて、
当院にはずいぶん遠くから(県内はもとより県外からも)治療に来られる方が多いのですが、今日の午前中、県内のある市から来られた母娘二人づれは、今までに整形外科や近所の整骨院などで半年程治療を続けてきましたが、一向に回復の兆しが無く困っていたところに、置き薬のセールスさんから当院を紹介されたのでした。
『僕はあそこに行ってたった1回で良くなったんですよ! 絶対にお勧めです!』と言ったらしい。(笑) 置き薬にも肩こり腰痛用の湿布薬があるのにね^^
そのセールスさん、確かにたった1回来られただけですが、行く先々のお客さんで腰痛などが治らずに悩んでいる人がいると当院を紹介してくれます。(それも、その後は担当が変わり当院の担当ではない)今までに、その人の紹介で4、5人が来られている。
病院で検査しても『悪い所はない』と言われ、湿布薬だけを出されて『筋肉を鍛えないとだめですよ』なんて言われていましたが、当院に来ると
「どこがどうなって痛いのか?」という根本原因がすぐに判るのと、しっかりとした矯正技術があるので、「どこに行っても何年経っても治らない」というような痛みでも簡単に消えてしまいます。^^
このお二人も例にもれず、気持ちよく「カツンカツン」とサブラクセーションをアジャストすると、その場であれだけひどかった痛みがなくなってしまいました。これは特別の例ではなくて、当院ではごく普通、当たり前のことです。それに腰だけでなく、悪い個所は頭から首、肩、背中、足と全部治療するという技術の安売り(笑)
ワタシはひたすら、みんなに楽になってもらいたいのです。
一体、世の中どうなっているのでしょうか?
信用すべき所では「悪いところはありません」「ほんとに痛いんですか?」「とりあえず湿布出しときましょうね」「歳だからしょうがないですね」
そのお二人とそういうお話をしました。 世の中、これだけ体の痛みが治らずに悩んでいる人がいるのに、そのうちの大半が治らないまま苦しみながら人生を過ごしているのです。
多くの人が「死ぬまでこの痛みと付き合っていかねばならない」とあきらめています。
でも、この母娘のように、
本当に心優しくて正しいものの判断が出来る人の助言を信じて頼ればこんな結果になれるのです。
どこに行っても治らないからと訳のわからない霊能者?みたいな所にいって徐霊してもらう人も多いようです。(困ったもんだ) 日本は未開の国なのか?
今年の夏くらいだったかな・・。
ある温泉町で霊視をしているという女性2人が治療にきたのは・・。
腰や足が痛いというので触診をしようとすると、腰の一か所を押さえて
『ここは触らなくていいです。ここは霊的な問題だから・・』というのです。
で、ワタシが
『体の痛みに霊的なものなんて無いですよ。物理的な問題です』というと
『いや、ここはある先生に2年間治療してもらったんですが、絶対に動かんかったから霊的な問題なんです』という。
『いや、その先生が動かせなくても私なら簡単に動きます』と、つい意地を張ってしまいました。言い方に問題があるにせよ、自信はありました。
(動く、動かないは脊椎のことです。歪んだ脊椎を矯正することの表現方法の一つ)
そこはなるほど腰椎が二つ連続で逆くの字に歪んで、なおかつ後方に出ていました。容易ではありません。
しかし、意地でも良くしなければなりません。
いつもより慎重にコンタクトして気合いを入れて一撃必殺みたいな感じでアジャストしました。
『パキン』
腰椎は大きいし、またずれも大きかったので『カツン』ではなくて『パキン』とすごい矯正音が出ました。
『ほら、動いたじゃないですか! 霊的なものなんてないんですよ』と、言わなくてもいいことを言ってしまった自分を反省しながらもう一つの腰椎を別の方法で矯正しました。
逆くの字に曲がっていた二つの腰椎は真っ直ぐに戻っています。後方に出ていたのも同時にかなり引っこんでいました。
『ちょっと立ってみてください。どうですか? 痛いですか?』
『ああ。痛くない。良うなっちょん』
『でしょ。私には出来るんです。カイロプラクティックは科学であり治療は芸術なんです』
その後、お話をしているうちに、
そのお二人が霊視を仕事にしていることが判りました。
2年間、ある治療家に治療してもらい、どうしても治らずに『これは霊的なものだ』と判断した霊能者?が、その後来なくなって、もう二度と来ないだろうと思うのはワタシの考えすぎでしょうか?(笑)
注) ブログに書くことはすべて事実に基づいて書いています。当院には本当に「どこに行っても治らなかった」というような方が多く来られます。その中で「どうにも良くなりようがない」という方は100人に1人も居ません。たぶん、1000人に2人位かな?
どんなにひどい症状でも1回目から必ず何らかの大きな効果が見られます。ただし、それ以降の何回位で?という部分は個人差があります。肥満体の人は平均的に治療回数が増えます。ほとんどの人は数回の治療で問題なく普通の生活が送れるようになります。
されど、されど、
恐らく、世の腰痛などで苦しむ人の9割以上の人はなかなか良くならず生涯それと付き合っているはずです。
だから、ワタシはいうのです。
世の中、一体どうなっているんだ!
今日の母娘と最後に話したのは
私が自分の治療を科学的に説明せずに、ただ黙って結果だけ出していたら、つまり「ここが痛いの? はい、どう? もう痛くなくなったでしょ^^」というやり方をしたら、たぶんすぐに知れ渡ってすごい
カリスマ治療師みたいになるんじゃないかな、っということ。(笑)
つまり、
神秘性や不思議さを強調すれば噂はすぐに広まる。だけど、ワタシはそれが嫌いなのです。
本物のカイロプラクティックは神秘ではなく不思議でもなくて科学的に当たり前なのです。
(ワタシ個人的には神秘さやロマンが好きです)
世の中、何の効果が無くても「得体が知れないモノ」「怪しいモノ」「インチキなモノ」の方が流行る傾向にあります。 もちろん、それは長続きしないから次々と手を変え品を変えていく。消費者は何度も懲りていながら「今度こそは」と騙されていく。
本物に行きつくのは宝くじに当たるようなものかも知れませんね。
すぐそばに居るのに・・。
今からでも遅くない
長い間、痛みで苦しんでいる人も
すぐ目の前に必ず希望が見えてくる
根本原因を正す
快方の森カイロプラクティック院

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