さて、昨日
ある人から「ブログ見てます^^」と言われて、「こんな訪問客の少ないブログにようこそ」と思いながらも、「最近のブログ内容はいかがなものか?」と客観的に読み返してみた。
仕事がらみで書くと、どうしても面白みに欠けるという避けがたい事実はあるけれど、誰かの役に立てばという思いもあるのでやむを得ない部分もある。
だけど、
まあ、こんなもんでいいんじゃないか・と思った。
私のブログは誰にも媚びることもなく、また、売れ線を狙うことも無く、ありのまま、思いつくままにエッセイ風に書くというスタンスなので、読みたい人が読めばいいのだし、自分で読み返すと、それなりに面白くはある。
そして思うのは、
自分はただ書きたいだけなのだなあということ。
何を書こうと決めることもなく、キーボードに向かい、最初に出た言葉から話を進めていくというスタンスは最初から一貫している。
てなことを書いてみつつ、今朝早く、久し振りに散歩をした。
これをきっかけに明日から又、続けてみよう。
今日はただ歩くだけでなく、両手を握ったり広げたりという運動をしながら歩き続けた。スポーツ選手などが握力を鍛えるためにやる、あの運動だ。
実はワタクシ、高校時代の登下校で毎日これをやっていた。当時の高校と言えば、カバンは黒革の手提カバンだったので手を変えながら片道20分位やっていた。
それも軽くやっては意味がないので、強く握り強く開くというのを素早く繰り返す。
それの効果かどうかは知らないけれど、大学1年の体力テストで握力は右が72キロ、左が60キロもあって、体育の教授に驚かれたこともある。その握力は45歳くらいまで持続していたが、最近は計っていない。
そんなことで、ワタクシ、今でもその運動は何時間でも何万回でも継続出来る。誰かそれに見合う手当をくれるのだったら8時間やってもできると思う。(ちなみに8時間だったら50万円だな。笑)
今までの最長は、宮崎の山間部に行く道のりでクルマの運転をしながら2時間半。片手運転の2時間半の方が大変だったかも。
今朝は40分の散歩だった。
その手の開閉運動はすばやく強くやるので、少なくとも1秒に1回以上、ひょっとしたら2回近くしているかもしれないが、1回としても1分で60回、10分で600回、今日は40分だったので2400回はやった計算になるが、ホントは1分に100回はやっていると思う。 そうすると4000回。(早くやる為には強い握力が必要)
(追記: 先ほど正確に計ってみたら10秒間に最高で30回出来た。普通の速度で20回。ということは今日は4800回。どうでもいいけど)
私にとって、こんな回数はさっき言ったように何でもないことだ。されど、まあ、やってみれば判るけど、普通の人はたぶん100回も出来ないのではないだろうか? 前腕が熱く痛くなって筋肉が動かなくなるはずだ。
私の場合でもハイスピードで3分位やれば前腕の筋肉が熱く硬くなる。その状態で我慢をして続けていくと、スッと痛みと熱が消える瞬間が訪れる。すると、後は惰性で何時間、何万回でも出来るようになる。
と、言っても、やはり誰にでも出来る訳ではない。
握力の強さは殆どのスポーツシーンで大変重要な意味を持つが、普通の生活の中でも目立たないけど役に立っている。しかし、目立たないので誰も褒めてくれない。(笑)
私がいまだにこのような握力の鍛錬をしたり持続力を確かめたりするのは、私に
ジョナサンズ スピリットがあるからに他ならない。
私は昔から群れるのが嫌いだった。みんなと一緒というのが嫌いだった。
自分のどこかに特別なモノがあるはずだと信じていた。
そんな私に高校の担任は仙人というあだ名を付けた。^^
カモメのジョナサンは正しくそれであった。
群れてギャアギャア叫ぶことに何の意味があるのか?
魚を獲る為にだけ飛べばいいのか?
食べる為にだけ生きたら良いのか?
否
今よりも高く飛ぶのだ
今よりも早く飛ぶのだ
今よりも急降下するのだ
今よりももっと美しく魚を獲るのだ
それらを追及していく先に何があるのか?
いつか書いていたように、私がそこらにいる並のカイロプラクターにしかなれないのだったら最初からこの仕事を始めてはいない。
私は、ごくわずかに並でないものを発見した。それを知るきっかけは類稀な握力運動だったのかも知れない。
そして追及することを知った。 それは苦しみでもなく努力でもないことを知った。
自分の可能性を追求するすべての行為は楽しいことである事を知った。
だから、私は今も未来も仕事が楽しくてたまらない。
私は今もジョナサン オブ カイロプラクティックを目指している。
今からでも遅くない
長い間、痛みで苦しんでいる人も
すぐ目の前に必ず希望が見えてくる
根本原因を正す
快方の森カイロプラクティック院

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