「長い道のりの光と影」
その日の湯布院は溢れんばかりの観光客でごったがえしていた。私と妻はもうそれだけで嫌気が差してそのまま別府へ続く山並みの道を上っていった。
高台にクルマを停めて由布岳を望んだ。その日は秋晴れで空は青く澄み渡り、手前に重なるこじんまりとした山々が陽光に照らされて黄金色に輝いていた。
私も妻もこの美しい光景にすっかり魅了され、なんとそこに40分も居たのだった。「あんなに人が多い湯布院の町なんて歩きたくもないよね」と私が言うと、妻は「ほんとにね。昔の湯布院は風情があって、落ち着いて回れたのに・・」と応えた。
私は同じ価値観を共有出来て、今、自分達が同じ時空に居ることに幸せを感じながら、ふと、それまでの長い過去を思い出しかかった。
でも、やめておこう。今は・・。沢山の過去があって今が有る。
世の中に光と影がある。そして人生にもそれがある。私たちはその光と影の中に生かされている。それはただ漠然とあるのではなく、必ず意味がある。
だから、生きるってことは、その光と影をなんとなく見るのではなく、その関係性を見つけて自らに反映していくことなのかも知れない。
私が自然を愛し、フライフィッシングに夢中になり、写真や絵が好きなことも詩や文章を書いたりカイロプラクティックの仕事をすることさえも、光と影という自然の摂理に心を動かされるからに他ならない。

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