普通に生活していて、ふいに口ずさむ歌がある。全く無意識に出てくるから不思議・・。
「おいら岬の燈台守は〜妻と2人で〜♪」
「喜びも悲しみも幾歳月」という木下恵介監督の映画の主題歌だ。
私は大分市の、今はハローワークがある地で生まれ小学3年生までそこで育った。(お坊ちゃん学校の大分大学付属小学校ね。笑)
父が検察庁の役人でそこが検察庁の寮だった。
当時は大分の中心地も未舗装の道路が多く、オート三輪が土ぼこりを上げて走り、一歩外れれば田んぼも沢山あった。
小学生なりに縄張りがあり、現在は歓楽街の中心にあるジャングル公園を境にして荷揚小学校の生徒としょっちゅう石の投げ合いをしていた。(笑)
映画は1957年の製作だから、私が7歳の頃に、隣の職安でその映画の撮影をしていたことを憶えている。たぶん、水の子灯台勤務の時の撮影をしていたんだろう。
その頃から61年も経過した今、これだけ無意識に出てくる歌はどんなものだったんだろうとyoutubeで聴いてみた。
「う、泣けてくる・・」
シンプルな歌詞なのに、その思いの丈が伝わってくる。
歌手の若山彰さんの表現の上手さも卓越している。
こういう歌をじっくり聞こうと思うとは、オレも歳をとったなあ・・!
あの頃は至るところに戦争の名残があった。
付属小学校は木造で旧陸軍の兵舎をそのまま使っていて、床下から銃器が出てきていたし裏手の崖は射撃場だったから、掘れば無傷の銃弾がいくらでも出てきた。
その銃弾を持って木工所にいくと銃弾を芯にした最強のコマを作ってくれた。
近所の味噌作りの倉庫はいつも遊び場で、こっそり忍び込んでは天井裏を隠れ家にしていた。
ある日、領地外(子供にとっての・・)の鉄くず屋さんに一人で忍び込んだことがあった。
2m位の壁は平気で乗り越えていた。(笑) ジャンプして指が掛かればよじ登れていたから。
そこで見たものはドラム缶に入った沢山の機銃弾やガスマスクだった。戦時中の残骸が山のように積まれたその場所で、見てはいけないものを見た気がして足がすくんだ。
私は5〜6個の大きな機銃弾をポケットに入れると急いで壁を乗り越え走って帰った。しばらくはそれが私の宝物だった。
戦後の復興期に育ち、産めよ育てよの時代を経て高度成長期を生き抜いてきたから、どんな苦労も苦労と思ったことがない。
今、この国は子供の数も減り、国力は落ち将来が危ぶまれている。
世界中を見渡せば戦争や飢餓が耐えない・・。
病気も増えるばかり・・。
口先でいくら平和を訴えても
人類が価値観を変えない限り平和は訪れない。

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