息子へ・・夢はまた来る
作詞 山村俊明 作曲 香下透 歌 夢来
日曜日の朝 ようやく目覚めた孫の声
廊下に響き 部屋に幸せの光 差し込んでくる
優しく我が子を見つめる息子よ
遠く過ぎ去った あの頃
私も同じ想いでお前を見ていた
あの頃 あの時
笑顔で歩き始めたお前は宇宙で一番の宝物
新米父さんの私を嬉しそうに見ていた
あの父の面影・・今も忘れない
そうさお前も今 自分の道を歩き
いつか同じ想いをするだろう
まるでデジャブのように
夕陽が空を紅く染め ふるさとの山の端に沈み
迷いの日々が薄れて過ぎ去ってゆく
翌朝 朝陽が輝くとまた未来がやってくる
そして自分を信じる力がよみがえってくる
命は巡り お前も孫を抱くだろう
見えない未来が現実になる
新米父さんのお前を頼もしく見ている
私の想いを思い出してくれ
愛は引き継がれ遠く過ぎ去った想い
あの頃の夢がまた来るはずだ
まるでデジャブのように
そうさお前も今 自分の道を歩き
いつか同じ想いをするだろう
まるでデジャブのように
まるでデジャブのように
まるでデジャブのように
この詩は夢来のファンであるM.大野さんの依頼で、夢来の為に書いた詩。
引き受けた以上、夢来に恥をかかせない詞にすることが大前提となった。
なにしろ、40年以上前には大分でかなり有名な伝説のユニットだったらしいから。(私は、その頃のミュージックシーンはさっぱり知らない)
そして、正直に言うと、これは夢来への挑戦状でもあった。(笑)
生半可な詞は書かない。その詞をどのような歌に仕上げてくれるのか?
まず、夢来の歌だから「夢が来る」をどこかに入れる。
正月に孫達が帰ってきていた時に、ふと、父と私、私と息子、息子と孫、孫からまた続く連鎖、そして、それらの関係という大きな「愛の連鎖」をテーマにしようと考えた。
その時その時のそれぞれの関係を考えた時、これらの連鎖は同じことの繰り返し、つまりデジャブ(既視感)のようなものではないか?という具合に思いが膨らんでいった。
日々の何気ない出来事の積み重ねこそが一番大切なことで、過去に夢見ていたことは、何気ない毎日の積み重ね、その連鎖で現実になるという哲学的なものを入れた。
よって、内容はのんびりとした日々の出来事のようであるが、一語一句間違っても意味が通じにくい、歌詞としては難しいものになったかも知れない。
歌う方も聴く方も一語たりとも間違ってはいけない。(笑)
元旦にテーマを決め、孫達と遊んだり宇佐神宮にお参りに行ったりりしながら構想を練り、一週間掛けて書いたという、普段は数十分から1時間で詩を書く私としては異例の詞になった。
夢来に詩を渡して歌が出来るまでに半年掛かった。
まあ、いろいろ事情があるにしろ、曲作りに真剣に取り組んでくれた。
私はこの歌を究極のラブソングだと思っている。
人生は愛なのだ! 生きることは愛の為せることなのだ。(笑)
そして、この歌は家族を養う父親としての息子への応援歌である。息子が聴く機会は少ないかも知れないが、いつの日か聴いて欲しい。
夢来のメンバーは、この歌は時と共に進化していきますよ、と言ってくれた。
進化させますと言ってくれた。
ライブで聴く度にちょっとずつ表現方法が変わっている。
より良い歌を目指して工夫してくれている。
いつか、どこかのライブハウスで聴く時、夢来の様子、観客の様子、周りのすべてにデジャブを憶えるといいな!と思う今日この頃。
夢来に感謝の気持ちを添えてここに記す。

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