2016/3/31
18cペルシャ更紗 フリーハンド手描きによる連続文様 染織


製作地 イラン ※インドで製作後にイラン渡りの可能性あり
製作年代(推定) 18世紀
素材/技法 木綿、天然染料 / 手描き、媒染(茜)、描き染め(藍)、表面糊引き
サイズ 43cm×65cm
飛鳥〜奈良時代に大陸から日本にもたらされ、有職文様のひとつとして尊ばれてきた”立涌(たてわく)文様”の発祥地はペルシャと考察されております。
本ペルシャ更紗は、立涌状の唐草模様と立花模様がガラムカール(カラムカリ)で染め上げられた18世紀の作例ですが、連続文様をフリーハンドの手描きで表わしている点に、この時代の更紗絵付け職人の極意が感じられます。
立涌模様のひとつひとつは、縦方向・緯方向ともに微妙に大きさ・かたちが異なり、立涌の膨らみの中に描かれた立花模様のひとつひとつも花の表情が異なる。
この更紗のどの部位を見ても”美と生命が横溢している”理由はここにありと実感されます。




2016/3/30
白狐さまの土地 旅の一場面


(写真 日本・奈良県 大和郡山市にて)
2016/3/29
19c琉球王朝期 木綿地・紅型裂 染織

●水色地雪輪枝垂桜に菖蒲模様

製作地 琉球王国(現日本国・沖縄県)
製作年代(推定) 19世紀 琉球王朝期
素材/技法 木綿、天然顔料、天然染料 / 型染、糊防染、地返し、片面染め
サイズ 17cm×54cm ※横方向は型紙全形に満たない部分裂
●参考画像
本紅型の使用型紙(と同型)と考察される琉球王朝時代の白地型紙
三分二中手模様−大柄 36cm×42cm

沖縄県立芸術大学附属研究所所蔵(鎌倉芳太郎資料)






●本記事内容に関する参考(推奨)文献
2016/3/28
ほんのり色づき始めた桜蕾の頃 旅の一場面

(写真 日本・京都府京都市 嵯峨野にて)
2016/3/27
白地茜花散らし模様 18c手描きシャム更紗裂 染織


製作地 インド南東部 コロマンデル海岸エリア
製作年代(推定) 18世紀
渡来地・使用地 シャム王国 〜 日本 ※或いは直接日本に渡来
素材/技法 木綿、天然染料 / 手描(カラムカリ)、媒染、防染
繊細に手紡ぎされた細手の木綿糸で密に織られた上手の白(無染)木綿をベースに、総手描き(カラムカリ)により明礬と鉄漿の媒染描きがなされ、茜浸染により”花蔓模様”が染め上げられたインド更紗裂。上の画像を一見したところではシャム渡りに典型的な意匠上の特徴を見出すことができませんが、同布のボーダー柄部分(下画像)を見ると”瓔珞模様””仏塔状ヤントラ模様”等のシャム(タイ)特有の仏教的意匠が多重ボーダーとして描かれており、”シャム更紗”であることが特定できるもの、その中央部本体柄が本布となります。
仏教に縁の瓔珞・唐花風の流麗かつ繊細な意匠は安土桃山〜江戸初中期の日本においても大名・貴族を中心とする富裕層の茶の湯等の裂地として”暹羅染(シャムロ染め)”の名称で珍重・愛好され、南蛮紅毛貿易の産品としてシャム王国経由及び直接的に日本にもたらされたことが記録により確認でき、実際に本布と近しいデザインの白地茜花模様のインド更紗を当時手掛けられた更紗裂帖(手鑑)の中に見出すことができます。
本体柄は具象と幾何学の花々を織り交ぜた”花散らし模様”として構成されており、白地と茜媒染の赤濃淡及び鉄媒染の黒のバランスが秀逸、裂上のどの部位を見てもカラムカリの筆致は踊るような動きと流麗さがあり、目にしていると作品の世界観に深く惹き込まれます。
●同布のボーダー部分裂



2016/3/20
イバン族の緯紋織作品(腰衣) 染織

製作地 マレーシア・ボルネオ島 サラワク州
製作年代(推定) 20世紀前期
民族名 イバン・ダヤク族 Iban Dayak
素材/技巧 木綿、天然染料 / 経地合+平地、緯紋織、縫取織



イバン族の染織を代表するのは”経絣”で表現される衣装や儀礼用布となりますが、絣の文様をそのまま紋織に写し換えたような、独創的な意匠の”緯紋織”の作例が存在します。
木綿細糸のタイトな地織の中に、不釣合いなほど太い黒と赤の木綿糸を交互に並べ絵緯として織り込んでいくもので、表裏で破綻の無い昼夜で織り上げられ、遠目には赤と黒の絵緯が融け合い紫の色味に見える点が、この”ピリー(pilih)”と呼ばれる緯紋織作品の特徴となります。
圧巻なのは、ボーダーでは”経地合”、つまり経糸の密度が高く、太糸の絵緯が入る中央では、これを”平地”に変え、全体としての織りのバランスを巧みに保ち作品を完成させている点です。
腰で経糸のテンションを取るバックストラップにより、一織り一織りに膨大な手間隙と神経を傾けて文様を織り上げていくものであり、伝統に培われた技巧のもと、熟練した織り手でなければ、ここまでの作品を創り上げることはできません。今ではほぼ失われし技巧の一つです。
2016/3/18
スラウェシ渡り 15−16c青花蓮弁花唐草文壺 古陶磁

製作地 ベトナム北部
製作年代(推定) 15世紀〜16世紀 黎朝期
渡来地(蒐集地) インドネシア・スラウェシ島 南スラウェシ州パロポ
種類 青花(染付) 白磁胎、コバルト顔料
サイズ 胴径:約8cm、口径:約2.2cm、底径:約4.8cm、高さ:約8cm、重さ156g
中国・景徳鎮の青花の影響を受け、14世紀半ば頃に焼造が始まったと考えられているベトナム青花ですが、15〜16世紀には海洋交易の時流に乗り、インドネシア・フィリピンを中心とする東南アジア及び日本等の東アジア、さらには西アジアにまで品モノが運ばれ、交易用染付磁器としての最盛期を迎え、固有の作風を築くとともに作品の完成度を増していきました。
本品はインドネシア・スラウェシ島南西半島部の内陸東に面する交易港”パロポ(Palopo)”にもたらされたもので、”トラジャ交易品”の部類に入る渡り古陶磁となります。
口部が立ち上がったやや肩張りの球形小壺で、肩部に葉文状の”蓮弁”をめぐらし、胴部には横方向におおらかに広がる花唐草文が表裏二個所に柔らかな曲線で端整に染め描かれたもの、上釉の乳白色掛かった和らぎある風合い、濃み(だみ)を加えて描かれた呉須のやや暗色掛かった濃藍の色表情に中期ベトナム青花の特徴があらわれており(17c〜の後期は”絞手”に代表される作風)は、器形・釉調・絵付の全体から洗練かつ可憐な印象が感じられる小品です。
海洋交易の時代の空気を封じ込めたスラウェシ渡り青花、歴史の浪漫が薫る一品です。






2016/3/17
儀礼の場に華を添える盛装姿の子供たち 旅の一場面

(写真 インドネシア・スラウェシ島 タナ・トラジャにて)
多色縞の衣装とビーズ・ワークの装身具で華やかに着飾った子供たち(男女)は、結婚式等の祝祭及び葬祭の儀礼の際に、賓客と精霊・先祖をお迎えする役割を担います。
伝世品ともされる格の高いビーズ・ワーク装身具”カンダウレ”(前出)を身に着けるのは、もう少し年齢の高い未婚女性で、いずれも伝統宗教”アルク・トドロ”に基づく神職(シャーマン)の補佐的な役割であることから、”巫女”に近しい存在に位置づけられるものとも考察されます。
2016/3/16
凛々しき表情の聖牛テドン・ボンガ 旅の一場面


(写真 インドネシア・スラウェシ島 タナ・トラジャにて)
”水牛(テドン)”は、トラジャの人々にとって富と地位(ステータス)を象徴する生き物、神聖視されるとともに供犠獣ともされる特殊な慣習を有してきました。
同じ水牛でも、身体の大きさ・肌の色・毛並みと色(模様)・目の色・角の形や大きさ等によって細かくランク付けされ、標準ランクの水牛=”単位水牛”は、水牛以外の財産にまで及ぶ相続時の計算基準とされるほどです。(例:○○地域の水田一反=単位水牛○頭分)
上写真”テドン・ボンガ(まだら牛)”は、一頭だけで単位水牛二十頭分以上となる最上位ランクの水牛で、まだら模様の入り方等でさらに価値評価が上下する特別な存在となります。
2016/3/15
日常生活の中に息づくバティック 旅の一場面


(写真 インドネシア・スラウェシ島 タナ・トラジャにて)
2016/3/14
祭事装飾品に付されたサダン・トラジャのカード織帯 装飾
●祭事装飾品”カンダウレ”(幟として使用)の先端に付されたカード織帯
(19世紀末〜20世紀初め作)


(写真 インドネシア・スラウェシ島 タナ・トラジャの王族私設博物館にて)
●カンダウレに用いるために代々保存・継承されてきたカード織帯”カマンダン”裂
(19世紀末〜20世紀初め作)

ビーズ・ワークによる意匠の凝らされた円錐形の組み物”カンダウレ(kandaure)”は、サダン・トラジャ人の祝祭儀礼(結婚式等)及び葬祭儀礼の双方で欠かすことのできない装飾品であり、古来より家族(氏族)に代々継承される宝物(聖布マアに準ずるもの)として扱われてきました。
個性的な形状に目を惹かれる”カンダウレ”ですが、個性的なのは外観のみでなく、これが柱の高いところに掲げ飾られる”幟”として、さらに祭事盛装女性の”肩掛け”として、二通りの方法でかつ天地を逆さにして用いられる点は独創的で、他に類を見ない特殊な装飾品と言えます。
この”カンダウレ”の先端には、サダン・トラジャ人自身の手によって製作されたカード織の文様帯”カマンダン(kamandang)”が付されるのが古くからの慣わしですが、現代作のカマンダンでは代替品として木綿の縞織物が付されたものを目にする場合があります(下写真参照)。
”カマンダン”は、20世紀初め頃には製作の伝統が失われており、サダン・トラジャ人の間でも、早々本物を用いることの出来ない貴重品となりつつある現代的な事情が伺われます。
●カード織帯を代替する縞布が付された現代物の”カンダウレ”(肩掛けとして使用)


(写真 インドネシア・スラウェシ島 タナ・トラジャにて)
2016/3/13
サダン・トラジャ人のカード織帯”カマンダン” 染織


製作地 インドネシア・スラウェシ島 南スラウェシ州
製作年代(推定) 19世紀後期〜20世紀初頭
民族名 サダン・トラジャ人
素材/技法 木綿、天然染料 / カード織(ダブルフェイスト織、経捩織)
この二点の文様帯は“サダン・トラジャ人”の手によるカード織(タブレット織)技法の作品で19c後期〜20c初頭に手掛けられたもの、祭事の幟及び衣装の装飾パーツとして用いられたことが確認されるものですが、数十〜百年前には製作の伝統が途絶えてしまったものとなります。
スラウェシ島ではトラジャ諸系、ブギス等複数民族の手によるカード織の伝統が存在したことが知られますが、現在では既出の“ママサ・トラジャ人”のみが製作の伝統を継承しております。
手紡ぎの木綿を天然染料により一点は白+赤・藍、もう一点は白+黄・茶・黒・紅(紅は褪せている)で染めた糸を素材に、20を超える数のカード(タブレット)を巧みに操り、帯両面で緻密かつ端整な文様が織り表わされたもの、それぞれ糸づくりから始まる丹念な手仕事のものならではの表情の豊かさ、そして祭事儀礼用に用いられる帯としての濃密な精神性が薫ってまいります。




2016/3/12
祭礼・葬送のひとこま 旅の一場面

(写真 インドネシア・スラウェシ島 タナ・トラジャにて)
2016/3/11
個性的な色布帽子を被ったママサの女性 旅の一場面

(写真 インドネシア・スラウェシ島 ママサ・トラジャにて)
この多色の布で作られた帽子は、トラジャ儀礼用の色布パッチワーク腰衣”ドド・アンピレ”(下記事参照)の意匠との符号点が見出せるもので、同じく祭事に使用されたものと考えられます。
2016/3/10
儀礼用腰衣裾帯とされたママサ・トラジャのカード織帯 民族衣装
●ママサ・トラジャのカード織帯が裾部に付された祭事儀礼用腰衣”ドド・アンピレ”

※上画像はBNI刊「Untannun Kameloan」より転載いたしております
多色木綿がパッチワークされた色鮮やかな腰衣”ドド・アンピレ(dodo ampire)”は、トラジャ人の祭事儀礼の際に、女性の舞踏用として用いられてきたとされるデザイン様式のモノで、裾部にはママサ・トラジャ人の手によるカード織帯”パラワ(palawa)”が付される伝統を有してきました。
カード織帯”パラワ”に縫い付けられているのはオランダ銀貨とグラスビーズで、いずれも16〜18世紀を中心とする海洋交易の時代にトラジャの地にもたらされ伝世品とされてきたもの、単なる装飾目的ではなく、宗教的意味合いが込められたものと考察されます。


パラワには精霊・先祖を表わす人型文様”タウタウ”が織り描かれた作例も多く、古い時代の銀貨をあわせて鑑みると、この腰衣を着用して舞踏を行なうことに”招魂”の意味合いがあったことは間違いないように思われます。日本の盆踊りと近しいものという見方もできるかもしれません。