2016/5/31

ムガルの空気感と香り残るシュリーナガル旧市街  旅の一場面



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(写真 インド ジャンムー・カシュミール州 シュリーナガルにて)

2016/5/9

17−18c 舶来”ジャガタラ嶋”唐木綿裂  染織



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製作地 中国  渡来地(使用地) 日本
製作年代(推定) 17−18世紀  江戸時代初中期
素材/技法 木綿、天然藍 / 経緯とも双糸、平地・格子織
サイズ 幅(緯)33cm、長さ(経)24cm(密度 経緯とも約10本/cm)

本布は手紡ぎ木綿の太糸が引き揃え(双糸)となり、千鳥格子状の”ジャガタラ嶋(蛇形嶋)”が表された厚手の唐木綿で、敷き布或いは武具に用いられた布から取られた裂と推察されます。

同じ双糸遣い(ただし糸は極細手)で同織柄が極細密に織られたインド製の唐桟留は”微塵嶋(みじんしま)”とも呼ばれ、時代が下がると、さらに国産の木綿・絹・紬の織物にも同種の織柄が盛んに写され、この格子模様が一世を風靡した様子が資料・文献から伝わります。

本唐木綿は、太目の手紡ぎ木綿で大柄に織られており、”微塵嶋”の呼称は似合いませんが、下に掲載のインド製唐桟留の画像を目にすることで、別称の由縁を確認することができます。

この”微塵嶋”は、戦国から安土桃山(16世紀)まで時代を遡り、同手の織柄が茶の湯の世界で”利休間道”として用いられており(絹地と木綿地が存在し、木綿地は”唐桟留”と考察されている)、つまりは数百年の長きにわたり(そして今も)、日本人の美意識や嗜好を刺激し続けてきた意匠の織物であると言うことができるように思います。

織柄の原初はインドの織物であるのか、さらに時代を遡りペルシャ等シルクロード由来であるのか... 想像を巡らせながら布を鑑賞することに浪漫が感じられる江戸初中期の渡り木綿です。



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●参考画像 インド製の唐桟留に見られる”微塵嶋”
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製作地 インド  渡来地(使用地) 日本
製作年代 不詳(17−18世紀?)
素材/技法 木綿、天然染料/経:双糸・緯:単糸、平地・格子織
密度 経:約54本/cm




●本記事内容に関する参考(推奨)文献
  

2016/5/7

19c インド 黄地”銀モール”段模様織物裂  染織




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製作地 インド ※地域不詳  
製作年代(推定) 19世紀
素材/技法 絹(野蚕?)、木綿、天然染料、銀モール(撚銀糸) / 平地、縞、縫取織
サイズ 10.5cm×96cm、8cm×98cm

この2枚の細長の布は女性用のサリーの布端ボーダー裂で、地組織の経緯に黄茶(金茶)の絹平糸、段模様部分に黄色の絹芯糸に銀(切銀)が巻かれた銀モール糸と白木綿、さらに藍木綿による縫取織で縞及び浮文状の装飾がなされたものとなります。

地組織の絹平糸、段模様を構成する銀モール糸、縫取織と縞を表す藍木綿の撚り糸、それぞれが糸作りから始まる巧緻な職人手仕事によるものであり、地及び装飾ともに肉眼では確認できないほどの繊細な糸遣い・織りがなされております。

また絹平糸はムガ等の野蚕とも思われ、織物は薄手ながら独自の張りとシャリ感が感じられ、天然染料の黄茶(金茶)の染まりをあわせ、独自の表情の落ち着きと古淡美が薫ってまいります。

素材・技術・製作の背景を含めて、そのすべての要素が今では失われしもの、土地と時代、歴史の浪漫が薫るインド・アンティーク銀モール織物の逸品裂です。




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●本記事内容に関する参考(推奨)文献
  

2016/5/5

19c末〜20c初 読谷山”銭花・風車”緯浮花織  染織




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製作地 沖縄本島(琉球) 読谷山(中頭郡読谷村)  
製作年代(推定) 19世紀末〜20世紀初め
素材/技法 木綿、天然染料 / 平地、緯紋織(浮文)
サイズ 18cm×41cm

地組織の経緯とは別な絵糸を経若しくは緯に織り込んで文様を表す”花織”は、海洋交易の時代に東南アジア染織との交流の中で生み出されたものと伝わり、琉球本島及び八重山諸島を中心に製作の伝統が継承されてきたものとなります。

本島中部の”読谷山花織(ゆんたんざはなうい)”は、縫取織の技法で文様箇所に手指・箆で絵糸を織り込む”手花(ティバナ)織”と、緯紋織或いは経紋織の技法で織り巾全体に紋綜紡により絵糸を織り込む”紋綜(ヒヤイバナ)織”があり、王族・上級士族のための高級衣装用として、縞・格子・絣等を交えた手の込んだ色柄意匠の布が手掛けられました。読谷山花織の大きな特徴は織り裏に絵糸(紋織糸)が浮糸として通されることで、これにより布に厚みが加わり、紅型と袷に仕立てられ寒冷期の衣とされたことが残存する作例や文献・資料により確認されます。

本品は黒に近い濃藍に染められた木綿を経緯とする平織り地に、白・山吹・赤の三色の木綿糸を用いた緯紋織により”銭花(ジンバナ)””風車(カジマヤー)”の文様が織り描かれた”緯浮花織”の衣装裂で、手紡ぎ木綿の繊細さ、天然染料による染めの深みと瑞々しさ、織りの緻密さを併せ、王府時代の花織に固有の気品と格調の高さが感じられるところとなります。

19世紀後半〜末、中継貿易の衰退と琉球処分により琉球王国の染織文化は著しく衰退、本島における花織製作の伝統も明治中後期にはほぼ失われしものとなりました(戦後の昭和中期に復興)。往時の琉球染織が偲ばれる貴重な残存資料としての読谷山花織裂です。




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●本記事内容に関する参考(推奨)文献

2016/5/3

19c インド・ヴァラナシ ”金モール”織物裂  染織



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製作地 インド・ウッタルプラデッシュ州 ヴァラナシ  
製作年代(推定) 19世紀
素材/技法 絹、金モール(撚金糸) / 平地、緯紋織(金モール)
サイズ 14.5cm×43cm

ヴァラナシはヒンドゥの聖地であるとともに、近郊に仏教の聖地(初転法輪の地)サルナートを擁する宗教の都として古代からの長い歴史を刻んできた街ですが、近世ムガル帝国の時代にはダッカ(現バングラデシュ)と並ぶイスラーム宮廷織物の最盛地として栄えた土地でもあります。

本品はムスリム女性用のヴェール(オドニ)の布端ボーダー部分と考えられる裂で、経糸に茶色の絹撚糸、緯糸に臙脂・濃藍・緑の絹不撚糸を配した平織り地をベースに、茶色の絹芯糸に金(切金)が巻かれた金モール糸(”モール”は”ムガル”が語源)により、細密な”ダイヤモンド菱文”の連続で構成されるエンドボーダーとしての文様が緻密に織り込まれた作品です。

深みのある臙脂赤の絹地に、肉眼では確認できないほど細密なつくりの金モール糸(撚金糸)が精緻なうえにも精緻に織り込まれており、19世紀当時のインド・ブロケード織物の技術の高さが伺われますが、特筆すべきは、百数十年を経過してなお金モールの金がほとんど剥がれ落ちていないことで、撚金糸を製作する職人の技術の高さにも圧倒される想いがいたします。

素材・技術・製作の背景を含めて、そのすべての要素が今では失われしもの、土地と時代、歴史の浪漫が薫るインド・アンティーク染織及び金モール織物の逸品裂です。



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●参考画像 上ボーダー裂と同種と推察されるヴァラナシ・金モール織物
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製作年代 19世紀
種類 ムスリム女性用のヴェール(オドニ)

※上画像はRoli Books刊「SILK BROCADES」より転載いたしております




●本記事内容に関する参考(推奨)文献
  

2016/5/1

紅毛船舶載 インド唐桟留”算崩し・もみじ手”  染織



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製作地 インド  渡来地(使用地) 日本
製作年代(推定) 17−18世紀  江戸時代初中期
素材/技法 木綿、天然染料(茜・藍) / 経緯とも双糸、平地・格子織
サイズ 8cm×8.5cm(密度 経緯とも約50本/cm)

極めて細く繊細に紡がれた木綿糸により、算木を縦横に組み上げたような”算崩(さんくずし)”と呼称される格子文様が極細密に織り表わされた古渡りの”唐桟留(とうざんどめ)”裂。

この”唐桟留”の木綿織物は、主にオランダ船(紅毛船)がインド更紗等とともに交易産品として江戸初中期の日本にもたらしたと考察できるもので、インド南東部コロマンデル海岸に存した積出港”セント・トーマス”に因んで”サントメ=桟留”の名が付されたものと伝わります。

経緯ともに二本引き揃えの”双糸(そうし)”で織られておりますが、糸遣い・織りはあまりに細密で(細密すぎて)目視できる範囲を超えており、ルーペで数倍に拡大することによりはじめて、組織の全容が確認できるといった圧巻の手技の織物となります。

インドからもたらされた”古渡り唐桟留”は 古渡り更紗”とともに、木綿を素材とする未知の次元の高度な技術が加えられた染織品として、戦国・安土桃山〜江戸初中期の大名・貴族・茶人等の富裕層を大いに魅了し、結果、これら(渡り木綿) に対する憧れから、国産木綿の生産及び国産木綿織物の発達が促され、江戸中後期の庶民文化の中で”縞木綿”がもてはやされるに至った、まさにその原初のものという見方・言い方ができるように思います。

本唐桟留裂は、茜染めの紅赤糸と藍染めの空藍糸の二色構成で”算崩し文様”が巧みに表現されたもので、和らぎ萌える紅赤の色味から”もみじ手”として珍重されたものとなります。





●本記事内容に関する参考(推奨)文献
 



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