2016/5/5

19c末〜20c初 読谷山”銭花・風車”緯浮花織  染織




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製作地 沖縄本島(琉球) 読谷山(中頭郡読谷村)  製作年代 19世紀末〜20世紀初め
素材/技法 木綿、天然染料/平地、緯紋織(浮文)
サイズ 18cm×41cm


地組織の経緯とは別な絵糸を経若しくは緯に織り込んで文様を表す”花織”は、海洋交易の時代に東南アジア染織との交流の中で生み出されたものと伝わり、琉球本島及び八重山諸島を中心に製作の伝統が継承されてきたものとなります。

本島中部の”読谷山花織(ゆんたんざはなうい)”は、縫取織の技法で文様箇所に手指・箆で絵糸を織り込む”手花(ティバナ)織”と、緯紋織或いは経紋織の技法で織り巾全体に紋綜紡により絵糸を織り込む”紋綜(ヒヤイバナ)織”があり、王族・上級士族のための高級衣装用として、縞・格子・絣等を交えた手の込んだ色柄意匠の布が手掛けられました。読谷山花織の大きな特徴は織り裏に絵糸(紋織糸)が浮糸として通されることで、これにより布に厚みが加わり、紅型と袷に仕立てられ寒冷期の衣とされたことが残存する作例や文献・資料により確認されます。

本品は黒に近い濃藍に染められた木綿を経緯とする平織り地に、白・山吹・赤の三色の木綿糸を用いた緯紋織により”銭花(ジンバナ)””風車(カジマヤー)”の文様が織り描かれた”緯浮花織”の衣装裂で、手紡ぎ木綿の繊細さ、天然染料による染めの深みと瑞々しさ、織りの緻密さを併せ、王府時代の花織に固有の気品と格調の高さが感じられるところとなります。

19世紀後半〜末、中継貿易の衰退と琉球処分により琉球王国の染織文化は著しく衰退、本島における花織製作の伝統も明治中後期にはほぼ失われしものとなりました(戦後の昭和中期に復興)。往時の琉球染織が偲ばれる貴重な残存資料としての読谷山花織裂です。




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●本記事内容に関する参考(推奨)文献



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