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2009/4/21

a segunda Amália  2009年リスボン日記

日本で「第二のアマリア」という言葉をよく耳にした。ポルトガルではあまり耳にしない。一部の人があるファディスタをそう呼んで話題作りをするけれど、当のファディスタたちはこれを歓迎してはいない、「アマリアはアマリア、彼女は彼女。私は私。誰もそんなこと考えていない。」と。生前のアマリア本人も、インタビューで聞かれる際には「第二の私?そんなの勝手にどうぞ。」という態度で全く気にしていない様子だったそうだ、そこが彼女の魅力でもある。何より「ファディスタそれぞれのサウダーデとファドがある」というファドの魅力でもある。

日本をはじめ、外国ではコンサートタイプのファディスタの名前しか知られていないし、アマリアがあまりにも有名すぎるので「第二のアマリア」という言葉が出てくるのは必然なのだけど、現地ではさほどではない。マリーザも「私は歌いたいから歌う、アマリアではない、私は私。」とコメントしている。逆にそんな事を言っては「アマリアに失礼だろう」というくらいだ。

今日、パテオでもこの話題が出たのだけど、やっぱり「私は私」とファディスタもギタリストたちも口を揃えた。この言葉を聞いて改めて教えられた。「そうだ、その気持ちで歌わなければファドじゃない。永遠に物真似でしかない。」

二ヶ月ほど前、少し悩んでいた私にクリスティアナがこう言ってくれた。「クミコはここでは外国人ファディスタだけど、誰に何を言われても何も気にすることはないのよ。あなたは一人のファディスタ、誰も私たちの誇りや魂をとる事なんてできないんだから。」。私が彼女の歌が大好きな理由は、彼女はまぎれもなく彼女自身の声と魂で歌っているからだ。彼女の生き方や愛情の深さが届いてくる。彼女は若いけれど、そんなことは関係なく素晴らしい、それは彼女にちゃんと誇りがあるからだ。クリスティアナに限らず、光るファディスタたちは皆それを心に歌っている。小さな子供達もテレビ番組でよくファドを歌っているけど、彼女たちもちゃんと「私は私」という誇りをもっている。

おおげさに表現することよりも、心に静かにそれを宿していることが一番大事だ。きっと人生にも。クリスティアナの言葉には本当に教えられた。




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