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2008/11/17

no A Tasca do Chico  2008年リスボン日記

今夜は久々にBairro Altoの「A Tasca do Chico」へ歌いに行った。地元のひとたちが、自分たちのためにファドを歌い、聴き、共に味わう、心意気にあふれた場所だ。

リスボン大の日本人の友人たちと21時前に店に入ると、80歳のセニョールが「来たね」と満面の笑みで迎えてくれた。このおじいちゃまはファドの日には必ずいて、演奏席に座って一部始終を見届けている。どんどんとやってくるファド好きたちが司会者でファディスタのジョアオンとおじいちゃまに挨拶をする。私はこの光景を見ているのも好きだ、わくわくしてたまらない、みんなファドが好きで集まる人ばかりだからだ。

前回は演奏が見えにくい奥の席だったが、今回はいい席を確保することができた。そして、途中から同席した50代くらいのポルトガル人夫妻のおかげで、とても楽しい一夜になったと言っても過言ではない。

偶然にもリスボン大で働いているというマリアさんと画家のヴィットールさん夫妻は、ポルトガルのおじちゃんとおばちゃんを絵に描いたような方々だった、とても気さくで心優しい。私たちがポルトガル語を勉強中で、私がファドを歌っていることがわかると、いろんなことを話してくれた。ファドが始まると、二人は時折テーブルの上で手をとりあい、微笑みながら歌をくちずさんでいた。「こんな夫婦にあこがれるね」と私たちは何度も言った。

3人目にこの店の名物ファディスタ・85歳のセニョールが歌い始めた。声量はないが、言霊とでも言おうか、一言一言に力がある、味わいは比較にならない。彼が口にした「vida(人生)」という歌詞が耳から離れない、年輪のあるファドだった。そして次のターンで5人目に登場したのはなんとご主人のヴィットールさんだった。
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マリアさんが笑顔で見送ると、彼は素晴らしいファドを聴かせてくれた。うまい!音程も申し分なかったが、深いのだ!人柄がにじみ出ていた。これだけいる人が吸い込まれていたのがわかった。おしつけがましくなく、一本筋が通った歌いっぷリ、画家である彼の感性が時々見え隠れするファドだった。最後のカスティーソが終った時、マリアさんが「今の歌は彼が詩を書いたのよ」と教えてくれた。てっきり他のお店でも歌っているのかと思って聞くと「ううん、ここでだけ。ただ好きだから歌ってるのよ。」とマリアさんは微笑んだ。

ただ『好き』それだけ、次のターンで歌うことが告げられていた私の心に、この言葉が熱いものをくれた。プロもアマもここでは存在しない、心にファドを持つものはファディスタだ。音程がずれていようと、ここでは関係はない、それよりも『心』だ。

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ジョアオンは私の名前をもうちゃんと覚えてくれていて、「日本人でいいファドを歌う子がいる、みんなで聴こうじゃないか、クミコ!」と紹介してくれた。どんな飾り立てた言葉より嬉しい紹介だった。

前回と同じファドを選んだ、それによって自分の心を確かめたかったからと言ってもいい。発音のことは何も考えなかった、それよりも自分のファドを裏切らないこと、それだけだった。

『Que Deus me perdoe』(神の許しを)

目をつむり、心だけをみつめて歌った。最後のサビ前の間奏で目を開けると、広がっていたのは体を揺らし口ずさむみんなの姿だった。その場の「ノリ」でハミングする時の声じゃなかった、暗闇に溶け込みながら私に呼応するように続いた声だった。それをもらって最後を歌う、終った時に驚くくらいの大きな拍手をもらった。鳴り止まなくていつ次の曲へ行ったらいいかわからなかった。

この一ヵ月半の間に、師匠や大好きなファディスタたち、ギタリストたちが私に素晴らしいものを手渡してくれたことを確信できた瞬間だった。そのままマリアさんに歌うと約束した「Tunica Negra」を歌った、彼女はこれが大好きだと言っていた。

手拍子が鳴る中を歌う、ギタリストまで体を揺らして踊っているみたい、最高に楽しかった。終って明かりがついても拍手が続き、「パラベンス」という掛け声を何人かがくれた、ヴィットール夫妻も。とあるおじさんが私の腕を掴み「気持ちがあった、ファドがあった、だからこれだけ伝わったんだよ。」と興奮気味に話してくれた。この言葉を信じようと思う。

来週も絶対来ようと決めた、ありがとう「A Tasca do Chico」!

2008/11/15

iluminação de Natal  2008年リスボン日記

今夜のリスボンはいつもと違う、みんな目を輝かせてウキウキしながら、恋人達は肩を寄り添わせて嬉しそうに街を歩く。今日からクリスマスイルミネーションが点灯したからだ。
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(アウグスタ通りのブルーのイルミネーション。昨日の写真と同じ物が十字路に吊るされて、通りを彩る。)
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(サンタ・ジュスタのエレベーター前には、見上げる視線にあわすように雪の結晶のイルミネーション。)
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(バイシャ・シアード駅へ続くこの道では、かわいいデザインのイルミネーションが続く。)

今夜は私もいつもより早めに部屋をでた。ゆっくりと通りを歩きながらイルミネーションを眺める。日本と違って人でごったがえす事はなく、カフェテリアのオープンテラスでゆっくり座って楽しんでいる人もいる。私も思わずカフェに立ち寄って、大好きなパステイシュ・デ・ナタを食べながらぼんやりと眺めていた。

師匠といつもの待ち合わせ場所で会って、リベルダーデ通りを車で進む。街路樹がイルミネーションで彩られ、立ち並ぶ銀行などもイルミネーションで輝いていた。

「ポルトガル人は美しいものが好きだね。ファドもこのイルミネーションも。」と師匠に言うと、「そうそう、そして美しい女達も。」と言って笑った、間違いない。冗談はさておき、ポルトガル人は確かに美しいものが好きだ。日本人とは違う美意識がある。普段の生活から何かというと「美しい」という言葉を口にする、表面的なことに限った賞賛ではない、考え方や心根を見てのことだ。それに紐づくように心のどこかにロマンがある、それを特に語ったりするわけではないが、そんな匂いがするし、そういったことを大切にしている。私の周りのファド関係者が皆そうだ。

ファドにはご承知の通り、「fado alegre」(喜びのファド)と「fado triste」(悲しみのファド)がある。どちらも同じように大切で、どちらの方が重要ということはない。でもそれ以上に大事なのはそこにある「美しさ」だ。

詩の美しさ、メロディーの美しさ、そして気持ちの美しさ、これに真摯に向き合うのがファドへの愛情であり誇りだと私は彼らのファドを聴きながら教えられてきた。

そんなことを思いながら今日もファドを聴き、ファドを歌う。他人の歌いまわしが美しいと思えば「bem!」と口にする。歌うときには自分の心にあるfadoを裏切らないこと、自分の声を出すこと、人生に大事なことと同じに思う。

2008/11/14


今夜のリスボンの空にはきれいな満月が浮かんだ。ポルトガル語で満月は「lua cheia(ルーア シェイア)」と言う。月を意味するルーアという響きが美しくて、この言葉が私は好きだ。

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(アウグスタ通りに設置されたイルミネーションと満月。これが十字路にいくつもある、まだ点灯していないけどそれだけでも素敵だ。)

タイミングが合うというのはこういうことだろうか、ということが今夜はあった。昨日、12月3日の共演が決まったポルトガルギター奏者のリカルドがパテオに顔を出したのだ。父アントニオ・パレイラに用事があったそうで、ギター片手にやってきた。当たり前だけど3年前より一段と大人びていて少し驚いた。当日久々の再会になるかと思っていたけど、今日会えてホッとした。

リカルドとは数回演奏をしたことがあったけど、あまり話しをしたことはなかったので、事前に会って挨拶ができて本当によかった。今夜は他で演奏があるそうで、演奏はせずに店をあとにしたけど「じゃあ、3日にね」と笑顔で去って行っていくリカルドにとても安心させられた。

来月の3日に、Associação Wenceslau de Moraes(モラエス協会)主催のパーティーがあり、その夕食の席でリカルドとアンドレの3人で一時間のファドコンサートをさせていただく事をすることが昨日決まった。先月お会いしたグラサさんとペドロさんご夫妻がこの機会を下さったのだが、彼らからの連絡も、タイミングを見計らったかのような絶妙さだった。ビザの問題が解決してホッと一息ついた翌日に連絡が来たのだ。そして、昨日リカルドと連絡をとり、今日会うことができた。

こういう際、私は「呼び合う何かがあったに違いない」と思うことにしている。偶然なのはわかっているけれど、そう割り切れない「何か」があるし、私自身が意欲的にもなれる。何かを願ったり誰かを思うエネルギーは必ず形になるものだ、今までもそうだったから。

2008/11/13


リスボンではクリスマスへ向けて街の飾り付けが進められている。ポルトガル語で「クリスマス」は「Natal(ナタウ)」と言い、新年の1月1日よりも12月25日が重要。

通りにはイルミネーションがたくさん設置され、木々にも無数のライトが付けられて、点灯の日を待っている。歌い終わって帰路につきながら、「早く灯りがつかないかな」と期待に胸をふくらます毎日。おかげさまでビザの手続きが先日無事に終わりホッとしたところ。胸のつかえもとれたところで、初めて過ごすリスボンのクリスマスがとても楽しみだ。

それから、12月初旬にとあるパーティーで歌わせていただくことが決まったので報告を。共演は師アントニオ・パレイラの次男のリカルド・パレイラ(Pg)、そしてfado Maior等でも共演したことのあるマルコ・アンドレ(V)という私にはとても嬉しい顔ぶれ!

リカルドはソロアルバムが日本でも発売されていて、海外公演も行っている実力ある若手ギタリスト。3年前にリスボンと東京で数曲一緒に演奏したことがあるけれど、こうやってステージを共にするのは初めて。アンドレは弾き語りもできる若手で、とても美しいヴィオラを聴かせてくれる。こんな機会に恵まれるなんて夢のようで、すでに私は緊張している。

先月お会いしたばかりなのに、私にこの機会をくださったペドロさんとグラサさんご夫妻に心から感謝をしたい。

2008/11/11

O Verão de S.Martinho(聖マルティーニョ祭)  2008年リスボン日記

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11月11日は「聖マルティーニョ祭」、この日は焼き栗と、água-pé(アグアペー)と呼ばれる2番絞りのワインをいただく慣わし。秋のこの時期になると、リスボンの通りには焼き栗屋さんがたくさん出ていて、道はその煙でまるで霧状態となる、秋の風物詩だ。

今晩は大学のBARでこの日のためのイベントがあり、リスボン大学の音楽グループ「TUNA」が演奏を披露、それを聴きながら栗、栗、栗。マンドリンとギターと太鼓と歌という編成で、全員黒マントの男性ばかり。ノスタルジーなバラードの際に、少しマドレデウスが浮かぶ。
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(半円を描いて演奏。左側に楽器隊、センターに太鼓。ソロで歌う人がいる場合は前に出てきて歌う。)

途中でグループの男子学生が、自分のガールフレンドを客席からひっぱり、何かしゃべりだした。彼女のために歌うというのだ。彼女にマントを着せて座らせ、彼がソリストとなり演奏をする。そして演奏が終ると二人はキス。

コインブラのファドは男子学生が女子学生に愛を歌うというような事があったと聞いている。きっとこういう光景だったのだろうなと思う。これは大盛り上がりだった。

ポルトガルの大学はそれぞれこういったグループがあり、何かの際に登場して演奏をするようだ。街を黒マント集団が歌いながら歩いているのもよく目にする、リスボンもアヴェイロもポルトも同様だった。

今夜は大人数対応のために塩茹での栗だったが、道で売っている栗は火で焼かれているので、お芋のようにホクホクしている、肌寒い秋のこの時期に是非お試しを。

2008/11/10

igreja(教会)  2008年リスボン日記

昨日、日本から友人のリサがリスボンを訪れた。

リスボンで会ってるなんて、初めて彼女と出会った昨年の夏に想像しただろうか。でも、リサと自然と気が合ったのは、こういうことだったのかもしれないと思う。大阪ではおかしいくらいおしゃべりをしていた仲だ。


朝10:00にロッシオ広場で待ち合わせ、彼女が先に到着していた。歩いてくる私に気がつき、駆け寄って抱き合った。

「いっらっしゃーい、元気やった?」
「元気やで〜、ほんまに来たわ」

リスボンの青い空の下に見慣れたリサの笑顔、「大阪」という感覚が久々に体を駆け巡った。

学生時代に一人でふらりと外国へ行っていた彼女。今回は職場の同僚の女の子たちと一緒の旅行だけど、ちゃんと各チケットなどの段取りを組んでいた、さすが。でも、気負わない彼女は空気を柔らかくしながらみんなにいろんな手配をしてあげていて、そこがとても好き。恐らく、彼女自身がそういう楽しみ方を知っているからだろうとも思う。


リスボンに滞在するのは1日ということで、私なりに組んだリスボンツアーで1日彼女たちを案内した。

市電で行く世界遺産もあるべレン地区、中心地シアードの地元ポルトガル料理店での昼食、大聖堂とサン・ジョルジェ城、そして、夜のアルファマでファド。
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(アルファマの「Coração de Alfama」。インストで聴くことが多いファド・カスティーソ「Fado Lopes」を男性ファディスタの歌で聴くことができ、心が躍った。)

合間でこの季節に欠かせない焼き栗と、べレンで有名なパステイシュ・デ・べレン(エッグタルト)も食す。女の子6人での食べ歩きは楽しい。私もしっかりと楽しんだ、はしゃいだ。


途中であからさまにカバンを狙ってきたスリをひるむことなく撃退できたのは、私もリスボンに溶け込んできたからだろうかと過信したり。


サンタ・アポロー二ア駅からスペインへ旅立つ彼女たちを見送る時に、ちょっと寂しくなったのは、彼女たちの来訪が思っていた以上に嬉しかったからに他ならない。リサを抱きしめたときにちょっと泣きそうだった。彼女も同じようだったけど、お互いそこに触れることはしない。きっと日本でまた会って、時間を忘れて今日のこの日を振り返る楽しみが待っているから。

一人地下鉄で帰路に着くときに、ここのところ胸にあったいろいろな疑問や、揺らいでいた気持ちが整理されていった。純粋に何かを楽しむ気持ちと、友人のあの笑顔が私の迷いを消してくれた気がする。実に私は単純だ。


翌日の今日、大学の授業を終えてから寮の近所の教会へ行った。私はカトリックというわけではないけど、教会の静粛な空気が好きで、時々行きたくなる。日本にいるときも、特に高校時代の帰り道は迷いや葛藤が多かったから、人気のない地元の神社に行き、ぼんやりしながらこれからの目標や何かを誓ったりして気持ちを整理していた。

何を信仰しているというわけではないが、神社にしても教会にしても、「自分を見つめさせてくれる何かがある」というのは共通していると思う。日本人特有の無宗教さは私も否めないが、現在までのその歴史の中で「場」として街やそこに生きる人に重要であったことはよくわかる。

近所のマダレーナ教会は私のお気に入りである。決して大きな教会ではないが、品のある美しい教会だ。観光客は少なく、物思いにふけるのに最適だ。

「異国の地で自分らしく、ブレずに生きていくこと。私の中にあるファドを歌うこと。」

そんなことを思って椅子に腰掛ける。幼稚園がカトリックだったおかげか、マリア様を見つめると心が落ち着く。何故か涙が少し出た。

ここ数年押さえ込んでいた厳しい自分を、久しぶりに呼んでみようかと思えた。学生時代はそれで空回りすることも多かったけど、異国の地ではそういう自分が必要なことがよくある、多少大人になった今ならうまく付き合えるだろうと思えた。自分の内側をもっと見つめる必要がある。この毎日の中でいろいろな影響を受けるのは大事なことだけど、ブレては駄目だ。

2008/11/7

Concertos Abertos  2008年リスボン日記

今日はポルトガルのラジオ局「ANTENA2」の公開録音を聴きに、PICOASにあるCasa Museu Dr.Anastácio Gonçalvesへ行ってきました。
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(館内が撮影禁止だったので外観のみ。コンサートのあった二階の窓ガラス[右]がアンティークでとても美しい。)

「EXPRESSORIENTE DUO」というポルトガル人ギタリストとフルート奏者のデュオに、日本人琴演奏者のタケカワ クニコさんがゲストで加わり、オリエンタルをテーマに7曲を公開録音で演奏。会場もオリエンタルな工芸品がいくつかある古い建物でテーマにぴったりでした。

<セットリスト>

Karsten brustad
「If Night's Dawn Imposed all[I.N.D.I.A]」(G・Fデュオ)

D.Bogdanovic
「Seis miniaturas」(Gソロ)
「Ricercar」(G・Fデュオ)
「And Yet」(トリオ)

Yatsuhashi Kengyou
「Rockudan」(琴ソロ)

Kazuo Fukushima
「Mey」(Fソロ)

Ravi Shankar
「L'aube Enchantée」(G・Fデュオ)

ギタリストとフルート奏者が素晴らしく、繊細な音でしっかり聴かせてくれました。完全生音でしたし、至近距離でしたので演奏者の息使いも音の一部になってくれました。曲途中でのチューニングチェンジや、弦の響きを替える細工も見事にこなしていくギタリストのカルロスさんはリズム感抜群、指使いも目を奪われてしまいました。フルートのジョゼさんはインドシャツに身を包み、体にちゃんと入ったインドの音を伝えてくれました。

ギターと琴とフルートは想像以上にお互いを生かしあえる組み合わせで驚きました。音のアタックを3人がちゃんとバランスをとって演奏していたのもあって、心地よく聴くことができました。クニコさんの着物での琴の演奏はやはり凛として美しく、日本のよさを改めて感じられました。

日本の美意識がつまった作品を、ポルトガル人のフルート奏者がどうソロで演奏するか、興味深く聴きました。素晴らしかったです。日本文化に欠かせない間合いや、水墨画のような陰影、そういったものがきちんと表現されていて、作曲者の力はもちろんのことですが、演奏者の情熱に心打たれました。

私も同じように外国音楽を表現していますので、とても熱いものを感じました。アンコールで琴で弾いてくれた「さくら」がより胸に響きました。

約一時間の公開録音でしたが、テーマと会場、そして演奏時間もちょうどよく満足するものを味わえました。





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