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2009/1/31

a felicidade e a alegria  2009年リスボン日記

今夜は「GRUPO DRAMÁTICO RAMIRO JOSÉ」という会が催した「Grande Noite de Fados」に出演をさせていただいた。

「Grande Noite de Fados」といえば、有名なポルトガルのファドコンクールと同じ名前だけれど、このタイトルを他のライブで見かける事もよくある。別にコンクール限定のタイトルではなく、いろいろな所で使われているようだ。今日は記念すべき第1回目だそうで、とあるカフェを貸し切って行われた。こちらに私を連れて行ってくれたのは、「ア・タシュカ・ド・シーコ」でいつも一緒のエドアルドおじさん[写真右上]。彼はこの会の会員で、昨年12月の老人ホームのファドライブ同様、コーディネーターを務めていた。
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(Guitarra:Flávio Cardoso[左下]、Viola:Vítor Tiago[左上]
 お2人と初共演、とても素晴らしいギタリストたち!)
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(おじさまたちの飾らないファドをたくさん聞くことができた。22時にファドがスタート、終ったのは夜中の2時。お年寄りがたくさんいらっしゃったけど、さすがポルトガル。)

カフェにいる人たちはほぼ知り合いで、昔ながらの友人たちという関係だった。何年かに一度の同窓会というわけでもなく、「今度はファドをやるよ」→「よし集まろう」→「みんな元気かい?」というような感じだった。(なんだ、その記述は!と、おしかりを受けそうですが、本当にそんな感じだったのです。)

このゆったりとした時の流れ、そして、人と人の温かい関係がポルトガルの良さだと感じたし、現代のポルトガルにおいてもファドの場は「人と人」とをつなぐ大事な役割を担っている事がよくわかった。テーブルについて、司会者が時々冗談を交えつつ歌い手を紹介する。皆が静かに歌を聞き、サビになれば共に歌い、「場を共有すること」を楽しむ。そこには一人一人を尊重する姿があった。カラオケがあまり普及しないのも頷ける。

私は「サプライズ歌手」というエドアルドおじさんの計画で、1ターン目の最後に紹介され歌った。おかげさまで大きな拍手と歓迎をしていただいた。帰りの車で、エドアルドおじさんご夫妻が「みんながあなたの歌を気に入っていたよ。だって、誰も音を立てたりせず、じっと聞いていたでしょ。それに、あなたの歌には幸せと喜びを感じるの、だからとても楽しんで聞くことができたよ。」と言ってくれた。

歌に「幸せと喜び」が表れてくれたなら、ポルトガルで出会った人たちからいただいたものに他ならない。今夜のおかげでまたふくらんでいきそうだ。

2009/1/30

Obrigada,minha tia.  2009年リスボン日記

RTPの取材撮影2日目は寮で行った。ちょうど仲良しのスペイン人の寮生たちがいたので、彼らと昼食をとるところを撮影した。生まれて初めてという日本のうどんを彼らは喜んでくれた。ラーラがマドリッドに帰っていて一緒じゃなかったのが少し残念だった。

夜、パテオではまた別の取材を受けた。一番最初に取材を受けた「Expresso」の影響力に驚かされた。友人のポルトガル人が「これからどんどん取材申し込みがくるよ」と言っていたけど、本当にこんなに取材が続くなんて思いもよらなかった。それと同時に、このパテオというお店の社会的信頼性も充分うかがえた。記者の方は偶然にもバレットさんのお友達だったので、事前に私のことは聞いていたそうだ。今日はバレットさんもテーブルについて一緒に取材を行ったので、とてもリラックスして話をすることができた。バレットさんとこんな風に関われることも嬉しい。

どの取材でも「ファドとの出会い」「センティメントをどう感じるか」「私にとってのファドとは」という質問を必ず受ける。そして、言葉にして答えることで、私とファドがもう切っても切り離せない事を実感してきた。歌詞で言っていることが、どんどん実現化していることに驚いているし、ファドと出会えたことで私の人生はどれだけ豊になったことか、と感じてならない。

私が今こんなにもファドと人生を共にできているのは、いろいろな出会いがあったからに他ならないし、それは時を経ても続いている。

お店の営業が終った深夜、ドナ・リナが「ちょっと話があるの」と誰もいない部屋に私を連れて行った。イスに座り「マリア・ベンタのことよ」と話を切り出した彼女の目は涙ぐんでいた。マリア・ベンタさんというのは、私が初めてポルトガルに来たときに、ファドの歌い方や情熱・愛情、そして魂を真正面から注いでくれたファディスタだ。『叔母と呼びなさい』とも言ってくれた人だ。残念ながら数年前に他界してしまった。ドナ・リナとも大の仲良しだった。

「彼女の使っていたアクセサリーや色々な物は、親しかった人たちに譲り渡されたの。私もいくつか譲り受けたわ。」とブレスレットを私に見せてくれた。「もし必要なければ売ってお金に換えてくれても構わないとご家族から言われているの。でも、私はお金に換えたいなんて思わないし、アクセサリー類はいっぱい持っているから、私、決めたの。あなたにあげる。あなたにあげるのが一番いいと思うの。」そう言って、小さな箱を二つ取り出した。三連の指輪とドナ・リナと同じブレスレットだった。はめてくれた指輪は私にぴったりだった。ブレスレットをつけてもらうと、2人で抱き合ってちょっと泣いた。

「これで歌うときは彼女と一緒。」と私が言うとドナ・リナは私の頬にキスしてくれた。「それに、今でも彼女は私の心の中で生きているよ。」と続けると「もちろん、みんなの中に生きているわ」とうなづいてくれた。
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ありがとう、ベンタさん。大事にするね。

2009/1/29

Somos irmãos.  2009年リスボン日記

本日よりRTP(ポルトガル国営放送局)の撮影がスタート、初日の今日はパテオでファドの現場の撮影だった。ドキュメンタリーではあるけれど、映像作品としていくつかのシチュエーションの絵をとる必要があったので、カット撮りも行った。日本で、役者の仕事をしていたせいもあって、緊張はしたけれど、とても楽しかった。カメラの角度や、視線の送り方一つ一つがとても細かく計算されていて、映像は映像の楽しみがある。舞台がメインだった私は、初めて映像の仕事をした時に驚かされた経験がある。今日は、それがちょっと生かされたような気がする。

撮影と出演が終ると、ファディスタのバレットさんがアルファマの有名なカーザ・デ・ファド「Casa de Linhares」へ連れて行ってくれた。こちらのギタリストで歌手のジョルジュ・フェルナンドさんとバレットさんは大変仲がよく、バレットさんもたまにこちらで歌っている。ジョルジュさんの作るファドは美しく、ご本人の歌声もギターも柔らかで、彼はポルトガルの一流ファドアーティストだ。そんな方と控え室で短時間だったけど話をすることができた。

すでに営業は終っていたので、本当に顔を出しただけだったけど、バレットさんのおかげで私はファディスタとしてジョルジュさんと会うことができた。バレットさんから聞いていた通り、とても穏やかないい方だった。2人はなんてことのない話をして、タバコを一本吸って「じゃあ、またね」と店を一緒に出る。ジョルジュさんと別れたあとに「俺たちはね、兄弟みないなもんなんだ。」とバレットさんがにっこり笑った。そういう関係を目の当たりできて、また、そんな場に居合わせることができて、幸せな気持ちだった。

2009/1/28

É a primeira vez que cantei quatro fados.  2009年リスボン日記

今夜、ついに、パテオで4曲を歌うという場を与えてもらった。

お店によって曲数や1ターンでの出演者数は異なる。パテオの場合、1回につき1人4曲を歌い、インターバルに入るというのが通例。私はいつも単独ではなく、2曲か3曲を歌い、そのあとに誰かが続けて4曲を歌うコンビという形だった。ところが今日、ドナ・リナが真顔で「4曲ね、一人で。」と私を呼んだ。

場を一人で任せてもらえた。正直なところ、考えもしなかったことだった。ギターのギリェルメさんが「やったね」とばかりに目で合図してくれた。プレッシャーも嬉しさと同じくらいあったけれど、逆にそれがいい緊張感になって、結果的にはいい形でステージに立てたように思う。終ってから、ギリェルメさんの「今日よかったぞ」という一言を久々に聞けた。自然体でステージに立つことが一番大事だと感じた。演劇でもそれは同じ事だった、でも、これが一番難しいのだけれどね。

師匠はというと「特別なことじゃない、普通普通。」という顔で、いつも通りにギターをかまえてステージで私を迎えてくれていた。終ってからもいつも通り。この「普通」の中に居られることが私にとっては「特別」な事、最近それが身に染みてわかってきた。

2009/1/25

Museu Nacional do Azulejo  2009年リスボン日記

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4年ぶりに「国立アズレージョ美術館」を訪れた。中心地から少し離れたところにあるのだが、マドレ・デ・デウス教会を改装した美術館で、14世紀から現代までのアズレージョ(絵タイル)が展示されている。個人的にはこちらの教会の装飾も好きで、アズレージョよりもそちらを楽しみに訪れている。初めて訪れた際に立ち尽くしたのを覚えている。壁と天井一面に飾られた油絵、丁寧に作られたキリストの遺体の像、蒼いアズレージョ、とても品があるのに加えてエネルギーを感じた。イタリアの教会で感じた、天と地をつなぐダイナミズムとは少し異なるが、狭い空間ながらもポルトガルのダイナミズムを私はこの教会に感じた。

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この日は、こちらにご旅行でいらっしゃっている日本人の方を案内した。日本でのライブにもいらっしゃってくださっている方だ。昨年から、こうやってライブでお会いしたことのあるお客様方が何組か「いつか行こうと思っていたポルトガルだけど、津森さんがいるなら今行こうと思って。」と、遠いところを訪ねてきて下さっている。嬉しい想いだ。もちろん夜は、リスボンでの私のファドを聴いてくださっている。毎回、「帰国した時には、より磨きのかかったファドをお聞かせしたい。」と誓い、日本での再会を約束する。これが私の原動力の一つになっている。

2009/1/24

Fado tradicional  2009年リスボン日記

今日は自分の気持ちに一区切りついた日だった。

ここのところ、テスト勉強の成果だろうか、ポルトガル語でもコミュニケーションが前よりも格段にとれるようになってきた。そのおかげで、日々、無意識に強いられていた緊張が軽減されてきた。ポルトガル語の勉強のペースもつかめたし、ファドの方も今までのレパートリーをほぼ洗いなおすことができた。惰性で歌い発音やリズムを損ねたくなかったから、気持ちを入れつつ音に細心の注意を払うのは毎回かなりのエネルギーのいることだった。そんな状態だったから、古典ファドになかなか取り掛かる事ができなかった。話すように歌うことを求められるが故に、語学力が追いつくまで少し距離をとっていたのももう一つの理由だ。

でも、今日またアルファマのファド・マイオールへ行き、ジュリエッタさんと話をし、彼女の「ファド・コリード」と「ファド・メノ−ル」を聴いて、今なら向き合えると確信した。この3年ほどずっと探していた「ファド・ゼ・グランデ」にふさわしい歌詞も今日ついに見つかった。

ジュリエッタさんの歌を聴くと、いつも私のファドが動き出す。彼女は「あえてこれを(古典を)歌ったのよ。あなたのためにね。」と歌い終わりに言ってくれた。

2009/1/23

Fiquei surpreenda por causa das entrevistas.  2009年リスボン日記

今夜は、嬉しく、そしてとても驚かされることがパテオで待ち受けていた。昨日「明日取材があるからね」と連絡は受けていたのだけれど、ただただ驚かされてしまった。

「RTP」(ポルトガル国営放送局)の「30Minutos」というテレビ番組で私が取り上げられる事となりました。

私はまだ観たことがない番組なのだけど、とても有名だそうで、毎回「この人は!」という人材を取り上げて放送しているとのこと。今日はその依頼を受け、そのまま簡単な取材と撮影に関しての打ち合わせをしていった。

このRTPの取材の前には「Renascença」というラジオ局からも取材をしていただき、2本立ての取材だった。その間、通常の出演もあって、あっという間に0時前になっていた。

ずっと緊張していたし、ポルトガル語での取材で予想以上に頭を使っていたから、終るとドッと疲れてしまった。控え室のクリスティアナの横に座って一息つくと彼女が私の手を握ってこう言ってくれた。「よかったね、幸せなことだよ、おめでとう。急展開でいろんなことが起こっているけど、これもあなたの人生、素晴らしいことよ。」と。思わず泣きそうになってしまった。本当だ、なんて幸せなことだろうか。

取材の間、オーナーのドナ・リナがずっと私のケアをしていてくれた。彼女は私に全面協力してくれている。ラジオ取材の際にドナ・リナにもインタビューがあり、彼女はこう言っていた。「今まで、このお店でいろんなファディスタが歌っていった。今有名になっているファディスタもいるし、海外で歌っている人もいる。みんな大事な家族のようなもの。日本人の娘や息子達も含めてね。」

日本を発つ前は、この9ヶ月の間にホームシックになるだろうなと思っていたけれど、今のところなっていない。もちろん日本の家族は愛しいけれど、寂しさでつぶれるような事はそういえばない。RTPの取材でもこの事について質問をされたけど、私は笑ってこう答えることができた。「この店には私の家族がいる。母に父に妹、それから叔父や叔母もたくさんいる。」と。隣でドナ・リナが「そうそう、ここには彼女のポルトガル人の家族がいるのよ。」と嬉しそうに笑ってくれた。人生において、こんな人に出会えるなんてそうあるものじゃない。撮影が決まったことも嬉しかったけど、彼女の気持ちが一番嬉しかった。





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