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2008/12/16

o grupo da Tasca do Chico  2008年リスボン日記

今夜は、郊外の老人ホームのパーティーで「ア・タシュカ・ド・シーコ」のメンバーによるファドライブがあり、私も一員として出演させていただいた。80年の歴史のあるホームだそうで、今日はこちらにお住まいの方々のほかにもたくさんの人が集まり、100人近い賑わいとなった。
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(今回のライブのコーディネーターでもあるエドゥアルドおじさん。タシュカで頻繁に私に話し掛けてくれて、ファドの心を伝えてくれた方だ。彼が私をこのメンバーに入れてくれた。)

カーザ・デ・ファドではないしコンサート会場でもない老人ホームの食堂でのファド。でも、この会場だからこそわかることがあった。明かりは蛍光灯だし、特に飾り立てた雰囲気でもない中でファドが始まる。名司会者でファディスタジョアオンが挨拶から場を盛り上げ、一番手のエドゥアルドおじさんが軽快に歌う。と、おじいさまやおばあさまがやわらかい笑顔で一緒に歌いだす。飾らないファド、本当に温かかった。途中で踊りだしちゃうおばあちゃまたちもいて、微笑ましい姿だった。ポルトガル人の中にファドは本当に身近に存在していることを感じ取れた。私は二番手で皆と同じく前半・後半で2曲ずつの計4曲を歌った。私が日本人であることはジョアオンが紹介しているが、いつもながら歌いだすとそれは関係なくなった。

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(エドゥアルドさんご夫妻と。最近は一緒にファド博物館に行ったり、お宅でお孫さんたちに会わせてくれたりと、本当にたくさんの愛情をいただいている。いつも陽気なエドゥアルドさんと、穏やかであたたかな奥様。ファドがつないでくれた出会いに本当に感謝。)

今日のファディスタは私を入れて5人。ジョアオンが前口上で「o grupo da Tasca do Chico(グループ・タシュカ)で今宵お送りする」と言った。そこにファディスタとして存在できたことがとても幸せだった。

2008/12/15

AMÁLIA NO OLYMPIA  2008年リスボン日記

先週の金曜日、映画「アマリア」の完成記念ファドコンサートを聴きに、カンポ・ペケーノの闘牛場へ行って来た。アナ・モウラ、リカルド・リベイロ、カマネー、マリーザら人気実力派ファディスタが「かもめ」「暗いはしけ」「神様」等のアマリアの代表曲を次々と披露し、1000人を越す観客は開演からアンコールまで魅了されつづけた。
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大きなスクリーンに映し出されたアマリアの前でトリを務めたのは、妹セレステ・ロドリゲス。スクリーンに映し出されたアマリアの前で朗々と歌う彼女には、まさに「ファド(宿命・運命)」を感じた。
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(マリーザ)
大規模な会場のため、PAを使ってのコンサートだった。いわゆるコンサート歌手と、カーザ・デ・ファド歌手の色がはっきりと出て、それもおもしろかった。それぞれのファドがあるからこそ、その色をしっかりと感じることができた。人気歌手ばかりが出演しているので、登場するだけで大きな拍手があがる。そしてファディスタの歌と共に客席は大きな歌声に包まれた。マリーザはこの規模のコンサートでも圧倒的な存在感だった。登場から違った、一際大きな拍手で会場が揺れた。歌唱力も素晴らしいし、ステージングも凄かった!その次にセレステが登場し、客席からは「待ってました」と言わんばかりの温かな拍手とため息がこぼれた。そして、第一声からカーザ・デ・ファドを感じさせてくれた。
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(カーテンコール。赤い衣装がセレステ・ロドリゲス)
客席には、自身もファドを歌っているであろう人が私も含めたくさんいた。これだけの規模のコンサートでもファド好きは声を大にして歌い、その瞬間その場は「カーザ・デ・ファド」になる。この感触がとても好きだった。そして、リスボンが本当にアマリアを愛しているのも伝わってきた。

帰宅してから彼女のCDを聴いてみてうならされる、本当に素晴らしい歌手だ。

2008/12/10

Natal no Madrid  2008年リスボン日記

ヨーロッパでは、クリスマスは家族で過ごすお正月のような大事な日。日本とは考え方が異なる、これは宗教上当然の違いだ。クリスマスプレゼントを選ぶ人たちが街にたくさんあふれている。今年のクリスマスは、なんと、スペインのマドリードで過ごすことになった。

昨日、寮の同じ階に住むスペイン人のラーラが私に声をかけてきた。

「前も言ってたけど、本当にクリスマスはここに残るの?」
「うん。」
「ひとりぼっちで?」
「うん、そうだね・・。」
「スペインの私の家においでよ。」
「え!?」
「スペインのママにクミコのこと話したの。そしたら、一人ぼっちなんて駄目!そんなの寂しいから、連れておいでって言ったの。だから、家でクリスマスをすごしなよ。」
「いいの?」
「いいよ、もちろん。空港まで迎えにいくから、うちに泊まって、ご飯をいっしょに食べて、フラメンコも踊ろう!クミコはファドを歌ってよ、それもママに話してあるから。マドリードも案内してあげる。」

「ひとりぼっちは駄目」その理由がとても嬉しかった。初めてのリスボンでのクリスマスは一人で過ごすつもりではなかったけど、特に具体的な案はなかった。まさか彼女がそんなことを思ってくれていたとは知らず、予想外の最高のクリスマスプレゼントをもらってしまった。

今日、ラーラと飛行機のチケットを予約した。普段からラーラは私にスペイン語で話し掛け、私はポルトガル語で返事をする。似ている言語なので、お互いの言っていることは理解できる、この計画立てがとても楽しかった。

初めてのスペインはクリスマス!夢みたい。ラーラ、そして、ラーラのママ、ありがとう!

2008/12/9

Vida Vivida  2008年リスボン日記

日本から「ファドの部屋」のHPを作られた稲葉ご夫妻が到着された。ファド好きのご夫妻は年に2度くらいのペースでポルトガルを訪れて、現地のファドを聴きつづけている。今夜はアルファマの名店「Parreirinha de Alfama」へご一緒した。弾き語りの陽気なエンターテイナーのルイス・トマールが入り口に立っていた。彼とは何度か話をしたことがあったが、覚えてくれていたようだ。冬の連休明けでも、満席近いお客が店内にいた。
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こちらはアマリア世代の最後の大物歌手、アルジェンティーナ・サントス(写真)のお店として有名だ。彼女は店にいても歌わない時もあるが、今日は幸運にも彼女が歌う日で、3人目に登場した彼女の素晴らしい歌声を聴く事が出来た。高齢にも関わらず、張りのある声が響く。存在感が凄い、他の歌手も実力があるが、桁違いとはこういうことかと思い知らされる。そして、どこまでも続く細い声で見事なフレーズも聴かせてくれる、彼女のこのメリハリが皆を虜にする。

最もシンプルで最も難しいカスティーソ(古典ファド)の「Fado Menor」を聴く事ができた、これを聴けた事は財産だ言っても過言ではない。語りのような歌が店中を包み込んで、誰も身動きできないような時間が流れた。歌詞は「Vida Vivida」。〜長い時を生きて〜というこの言葉が彼女の口からつむがれると、歌を聴いているのか、彼女の生き様を聴いているのかわからなくなってくる、そこには静かな孤独も、熱い情熱も愛もすべてが存在していた。

大満足して店をでた。余韻に浸りながら歩くアルファマはまた格別だった。


2008/12/8


映画「アマリア」が完成し、リスボンの街にはこんなバスも。
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この映画完成記念のイベントで、週末にカンポ・ペケーノの闘牛場でファドコンサートが開催されます。チケット入手!マリーザやアナ・モウラなどの人気歌手の歌を楽しみます☆映画ももちろんいく予定。

2008/12/7


今夜もパテオで素敵な出会いがあった。ヴィオラのギリェルメさんが今日はお休みで、かわりにいらっしゃったのが、フランシスコ・ゴンサルべス氏だった。彼はエスキーナ・ド・ソンの水谷さんにファドのヴィオラを教えたもう一人の師だ。名ヴィオリスタの彼は、現在は国内外をコンサートで飛び回っている。そのゴンサルベスさんと共演することができた。柔らかな音と綺麗な刻みに歌を預けた。演奏中に何度か目が合ったのだけど、そのまなざしが鮮烈に脳裏に焼きついた。じっと私を見て、寄り添うように弾いてくださった。ご本人は物腰の柔らかい紳士で、お茶目な一面もインターバル中にのぞかせてくれた。

ヴィオラが変わるとファディスタたちの歌もガラリと変わる。パテオでギリェルメさんが不在というのは私には初めてのことだったので、今夜は違った楽しみ方でファディスタたちの歌を聴く事ができた。いつものレパートリーと同じ曲でも、ヴィオラのニュアンスが変われば歌が変化するのは当然のこと。特に、バレットさんがそれを見事にキャッチして楽しんでいたのが印象的だったし、そのセンスはさすがだった。

2008/12/5

Vamos falar inglês.  2008年リスボン日記

今日は英語英語の1日だった。2月の後期からポルトガル語コースに通う中国人の友人・スーイーと会っていたのだが、まだポルトガル語が話せない彼とは英語でコミュニケーションをとらないといけなかった。私より相当英語が上手な彼と話すのは大変だった。頭が完全にポルトガル語になっている私はやっぱりポルトガル語がすぐ口をついてしまう、電子辞書をこんなに多様したのは初めてだった。それから、時々漢字を使って筆談もした。沢木耕太郎さんの「深夜特急」の中で、主人公が上海で筆談をする際に、英語よりも深く分かり合えるところがある、というように書かれてあったが、それがよくわかった。ニュアンスが随分違う漢字もあるようだが、たった二文字ですぐに分かり合えたりするのはとてもおもしろい。

彼はとある事情で6週間遅れで私たちのクラスにやってきた。しかし、彼には追いつけないほど進んでいたため、2月からのコースに変更をせざるを得なかった。私たちのクラスには中国人はいないため、まだ友人のいなかった彼には同じアジア人の私が頼りだったらしくメールで連絡を取り合っていた。他のクラスには中国人の学生もいるので、今日は彼らに会わせてあげられたらと思って大学で彼と会った。幸運にも台湾人の学生と会えた、彼らの言葉でいろいろ話ができたようだったので安心した。

リスボンにいるものの、大学に通えず、友人もまだいないというのは相当不安だったと思う。私も10月・11月はこちらに住む日本人の方に相当話を聞いてもらった。不安やハプニングもいろいろあったから、誰かに会えると安心していろんなことを話してしまい、私一人でしゃべり倒していることがよくあった。聞いてくれた皆さんには本当に感謝している。彼もやはり同じだったようだ。英語が得手ではない私相手でも、話すだけで相当安心できたはず。台湾人の学生を連れてきてくれた日本人の友人に事情を話した時に「そりゃ不安やったやろうね、誰かと会えるだけで楽になるもんなぁ。」と大阪弁で言ってくれた。それがとっても心に染みた。そうだ、人は一人じゃ不安だ。それを声を大にして言うことは恥ずかしいことでも何でもない。

随分元気になったスーイーは帰り道で「笑顔笑顔」とつぶやきながら笑っていた。「笑顔になっていればすべてがうまくいくって、中国で習った英語の先生が言ってた。」と続けた。奇麗事だと笑う人もいるかもしれないけど、私には真実味があった。確かにそうだ、誰かの笑顔で救われることはよくある。自分自身の笑顔もいいことを招くのは間違いない。「わかるよ〜、その通りだと思う」とつたない英語で返事をした。何故語学を学ぶのか?それは気持ちを伝えるためだ、と最近クラスメートと話したことを思い出した。



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