以前、日の出の森のごみ処分場問題にトラスト地が強制収用されてしまう頃までの何年か関わったことがあります。
ここではゴミ環境問題運動とアートが連携していい活動がされていました。
環境問題の人たちは、ゴミをなるべく出さない社会システムに変えられる可能性をドイツの事例などから紹介したり研究者に講演してもらったり、様々な情報を提供してくれていました。この可能性が実現すれば今のゴミを出す消費社会のシステムそのものが変わり、本当に根本からゴミを減らせたし、これから先のダイオキシンの汚染も少なくてよかったはずでした。
しかし周囲の森が済し崩しにブルトーザーで均され、望みのトラストの森も強制収用され、一面がゴムシートを敷き詰められた処分場となるという強行手段によって、この可能性は大きな世論にまで至らず蓋をされ、結局今の全て燃やして埋めるというシステムになってしまいました。
ほとんどのことにおいて別の可能性があるかもしれないことを、他の誰かが知っていることがあります。そして、それに気付いた人が発信することは、何かを生み出すのと同じように創造的で時に困難なことですらあります。
私たちの今生きる様々な日々の生活や社会の中、何気ないことから周囲と繋がることで、何か出来るかもしれないと思っています。普段気に留めない日常の中に美しさや驚きがあることを見つけあったり、困難な現実に向き合った時に別の見方や行動があるかもしれないこと、そして少しずつでも取り組むことでいつしか積み重なり形になること、その時励まし合えたり協力し合えたり、それが本当に素適なことだと分かり合える…、そうしたささやかでも希望を持てるような、すこし見方を変えたり転換させたり掘り起こしたり繋げたり、そんなことをしたいと思っています。
そうして様々な立場のさまざな考えの人とで、それぞれが直面することを理解し合いそこから展開を起こしたり、相互作用で豊かに創造し合えたら、その時また新たな様々な人と可能性を共有できるのではと思っています。