「数寄」
:《「好き」と同語源。「数寄」「数奇」は当て字》風流・風雅に心を寄せること。また、茶の湯・生け花などの風流・風雅の道。
「―者(しゃ):1 物好きな人。好事家(こうずか)。すきもの。2 数寄の道に専念する人。特に、茶道についていう。風流人。3 色好みの人。好色家。すきもの。」(大辞林より)
:本来「好き」の意味であり、特殊な当て字として流布している。専門業とはせずに何らかの芸事に打ち込む様を、特に「すき」と称しているのであり、現代の俗語としては「あんたもすきね」「ものずき」などに通じる。(ウィキペディアより)
日本ってやっぱりすきの国なのだなぁ…、
ほかの国と比べて感じること、特に今回はお隣の韓国とで。
韓国は、冬の国だから昔からオンドルという足元から暖かい床暖房の家を考え作り出し、冬でも家中どこでもペタンと座り込んでしまえるくらい居心地が良いらしい。
そして食事はというと、外食では野菜は注文しなくて食べ放題らしくいくらでも出てくるのが通常らしい。韓国の健康志向の日常性は、朝鮮人参やキムチの根強さからも、かなりのものを感じるけれど。その上しかも、決して一人では食事しないらしい。一人で食事していると変な人という感覚らしく、韓国に3年住んだ友人のそのまた友人は食べるために人を探さなくてはならず、それが厄介だったというほど。この頃美食には、一人でよりは人と一緒に食べるとおいしくて体にも良いと聞きますが。それを韓国では当然として習慣のようにやってるようだ。
今分かるのはこの程度だけれど、食・住、体によく心地よい生活ができる感じ。
日本では、外食は例えばお寿司や麺類、鰻などを考えてみても、野菜は本当に少ない。外食だから野菜不足でも仕方ないという感覚さえある。勿論薬膳だって納豆だって体にいいものはあるし、欧米からは健康食といわれるけれどお寿司にカルフォルニア巻という野菜にくるまれたお寿司が作られたことを考えると、日本のお寿司の魚へのこだわりがあると思う。同じように、麺へのこだわりも。鰻もご飯の上に鰻だけ、のこだわり。あとは汁物と香の物くらい。一点主義というのか、そのものを食べに行く、のか、そのものだけを食べさせたいのか。そして、一人でも平気で外食もする。ちょっと味気ないかもしれないけれど変だなんて思わない。
住居の方は、夏をむねとすで何といっても畳ですね。板の間とまたちがい美しさを醸し出すインテリア。縁なんて豪奢極めたり、縁なしは今ではシンプルな美しさの演出にもなっている。
でも考えてみると、夏をむねとしたくない冬の地方の東北などで床暖房は考え出されなかった。日本の冬は囲炉裏と掘りごたつ、それからストーブだった。もう離れられないほどぬくぬくの一つの小さな場にみんなが静かに集まる。今はもう昔の話だけど。
こうした生活のことだけでなく違うのが、
日本ではその地方地方で趣向を凝らしたものがあり観光という場として発達しているのではないかということ。日本人でさえ日本で観て周りたい所はたくさんある。
一方、これまた友人に聞いたところでは、韓国では慶州という古の都を観光するくらいでほとんど自国を観光する習慣はないそうだ。休みなどはどうするかというと、みんなで集って楽しく食事をして過ごすのらしい。
勿論日本でも皆で過ごす時もあるし、韓国だっていろいろな所を巡ったりもするでしょうが。
私などは、どんな所でもどんな道端でもおもしろいと立ち止まったりしながら歩いたりするから、観光地という意識は薄いのだけれど、でもやはり日本各地の独自の趣向の凝らし方には目をみはる。
こうしたことは日本の数寄という感覚から来ているものなのかとハタと思ったのでした…。
数寄者(あえてここでは茶道に限らずの)日本人はこうして文化を作ってきたし、脈々とその血を受け継ぎ混ぜながらも、今の日本人の感覚があるのだなと。
すき、数寄、隙、透き…、ここらへんの言葉、ますます気になる。
ついでに、すきから私が連想する粋って言葉も、、、
いき、粋、息、意気、生き、活き、行き、好き…って。
日本ってやっぱりおもしろい国。。。
勝手な解釈だけど、お隣の韓国との感覚の違いも興味深くなってきた。