夏本番、日食の話題もあいまって太陽のことを思っていたら、
「太陽がいっぱい」という映画を思い出した。
伝説のアラン・ドロン演じる貧しい青年が、羨む金持ち放蕩息子の
生活を我が物にできた、と思ったその絶頂時の一時、
「やっと僕も日の目を浴びる!今まで散々だったけれど思う存分の生活だ!」
というようなキラキラぎらぎらした気持ちから出てきたセリフからの言葉が
題名になっていた、と思う。
太陽はどこをも照らしてくれているはずなのだけれど、光には影がある。
今の日常、お金もテレビもパソコンも携帯もいつでもどこにでも、
太陽がなくても目移りするくらい明るい光がたくさんある。
陰のない光はないから、光と影があってこそ世界があり、
日常生活は光も影も織り交ざった世界というところだろうか。
向きを変えるとほんの少しだけ輝いて見えたり、
でもほんの少し見方を変えれば影になる。だから隣の芝は青い、のか。
時には、ようやく見えるようなぼんやりして分からないような場もある。
もしかすると、そうした分からなさを分かること自体、案外貴重かもしれない。
表に見えるものは光が当たってよく見えるから気になるけれど、
その陰となって見えない所にはどんなことがあるのか、あったのか、
同時に感じておけるようになりたい。いろいろな場合において出来る限り。
海の底深くや土の中に光が当たらないように、
私たちの体の中の内臓にも光は当たらない。
でも体はこの当人が意識さえあれば、
光の当たる所と影の所を一体にして感じられるかもしれない。
私たちの体は内臓のお陰で血や全てが作られている。
だから内臓の調子がよくないと、皮膚に出てきたりと、よくよく感じてみると
どこかに症状を表しているらしい。
でもつい、見えないから無理をしても、気にとめず頑張って過ごしてしまう。
…
光が直接当たっていなくても、
気持ちが行き渡るようにしてみたいものです。
優しくて、穏やかに、ゆったりと、あたたかで、輝きに満ちて…。
体に気を巡らす時も、こうしたイメージがあるといいかもしれませんね。
そうしているうちに、どちらが表か裏か分からないような、
意識による光の当て方を、人は見つけるかもしれません。
そうすれば、眩い光を羨まなくても、
そこは豊かなのかもしれない。
その時、この世界ここかしこ、
太陽がいっぱい。
そこここに
それぞれに
輝きがいっぱい。
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この夏の体和舎は、胸骨を広げて内臓をゆったりと、
関節を伸びやかにしながら体を絞って意識を引き締めてみます。
引き続き、体の中の七つの位置と方向から、
無理のない気持ちよい姿勢を骨盤の微妙な動きで作っていきます。
運動不足で体の調子がちょっと…、体が硬くなってどうしよう…、
ちょっとお腹が出てきたかも…、という方もどうぞ。
継続するとどんどん変わってきますよ。