5月終わりから7月半ばまで、
ロンドンでの共同作業とワークショップ、
パリでのソロ公演など、
ブリュッセルでのインプロライブ、
そしてペリグール周辺とアヴィニヨンへ行ってきました。
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まずは私のヨーロッパの印象。その一。
ロンドンではせっかくなのでちょっと足を伸ばし
ストーンヘンジへ行きました。
その前にロンドンを数日歩き回ってみて、
これまで日本そして訪れたいくつかのアジアの国々や
インドやメキシコ、アメリカ中部などに比べて、
どこかアグレッシブな感覚を感じていました。
それがヨーロッパの人々の感覚なのか定かではないですが、。
あの巨大な何トンもある岩のような石の直立だった上に
また巨大な石を載せるシンプルな造形を観た時、
今は何の為に作られたかわからないと言われているけれど、
芸術・科学・宗教の姿がそこにあることを素直に思えたのでした。
そしてそれを作るには多くの人の労力と知恵と技術が必要とされ、
血を流す戦いで多くの犠牲を出すよりも、
きっと自分たちの存在を誇示できるものだった。
芸術とはいかに戦わない為のものとなりえるか、ということかもしれない。
ただしかし、人が結集して技術を使い大きなものを作れば、
そこにどうしてもピラミッド的構造、権力構造や威圧する形が出来てしまう。
そうすると今度はそれと戦わなければならない、革命・闘争が起こる。
ヨーロッパの革命リボリューションの必然がここにあるのかもしれない。
この繰り返しで、西洋文明文化は強く大きくなってきたのですね、。
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フランスではラスコーの壁画。
実際にはラスコーUだけれど、その規模は体感できる。
少し見上げる高い所に実物大ほどの牛など動物が、
生き生きとダイナミックに描き出されている。
そこに広がる絵を観ていると、そのものへの憧れや畏敬さえ感じられ、
しかも想像の夢の世界へと駆り立てられるよう。
あの牛が音を立てて走りその風さえ感じられるそう。
あの牛に出会いたいなぁ、本当にそう思える。
ラスコーとチケット売り場の最寄の町までは2km少しある。
普通は車でひとっ走りだけれど、私は往復を歩くしかない。
帰り道、狩りをしに行ったのに収穫ゼロで家路へという、
そんな気持ちにふとなった。
ここで空腹の技法という言葉を感じる。
ラスコーの壁画を描いた頃、まだ人は狩猟をして暮らし、
それも思うようにはなかなか獲物も獲れなかったらしい。
今度こそは何とかして獲物を捕りたい、
それにはどうしたらいいだろう。
いい矢じりを石で作ろう。
あの動物に運良く出会いたい、
そしてあの牛の一瞬を捕らえ仕留めたい。
あの牛の一瞬を描いてみよう。
(…これは宮本武蔵が鷺の図を描いた感覚と似ているのではないか…)
もしかしたらそんなことを思って日々過ごしていたかもしれない。
空腹の技法という言葉については知らないけれど、
ここですぐに車に乗って町のカフェでゆったりできずに、
不便にも歩かねばならないことに感謝しながら、
普段の私は何をするにも容易で便利なことを改めて感じたのでした。
いろんな空腹を通り、目指す対象を時間をかけて見てイメージして
技術や発想が生み出されてきた。
その目指すものと空腹とを埋めるものが
論理的思考や目に見える描かれた形。
それがまた次の思考や形へと展開され、
だから西洋は論理的思考がより発達したのか。
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と、そんなことなど…。





