「からだそのものになる、スキップそのものになる。
からだは喜びたがっている。」
路上でのスキップを呼びかけたのは、3.11の後、重たい気持ちを少しでも変えられたらと思ってでした。やってみると、初め「スキップなんて…」と躊躇していた青年がしばらくすると「なんて自由なんだ〜!」と諸手を挙げて叫びながら跳ぶ姿に私の方が驚くほどで、身も心も解放されることを確信したのでした。また人とやるとそのリズムが空間へと派生することも感じ、なるべく多くの人とスキップをし、そこから思考を展開する場を作っています。例えば、この解放感を、生命の躍動・エランビタールというベルクソンの言葉につなげて考えたりしたいと思っています。
(「ナイトスキップ」の名は、
この霞が関での初期のスキップの話をした時に、
体験作家で『闇学入門』の著者の中野純氏が付けてくれました。)
舞台でも浮遊し飛ぶイメージで使ってきたスキップ。
大野一雄舞踏研究所の稽古でも、春、張るのことばから、続く動きとしてスキップがありました。聞くと他の稽古場でもスキップは使われているようです。
稽古しなくても、小さな子どもなら知らないうちにスキップしていることがよくありますね…
いろいろなアプローチでスキップしてみます。
1.古からたどってみます。昔の人のスキップは?
宮本武蔵の「五輪書」の足の運びから踊りを考えたり、昔の歩き方の跳ねる、浮くについて。
2.他の国では似たような動きがあるか?アメリカンネイティブの踊りから
もしくは、他の動物では?ギャロップなど。
3.スキップのリズムが自動的になり、各人が一つの星として広がりを感じながら、ねじりを加えて自転公転で回ってみます。
4.踊りについて考えることばに、ニーチェの『ツラトゥストラ』に「立ち歩き走りよじり、踊りを学ばなければ、飛翔に達することはできない」とあり、そこから感じ考えてみます。
スキップで地面を踏みしめて、今自分がいる現実をからだで感じ、そして浮き上がる。
最終的には、跳ばずとも内部の細胞が空へと溶け広がる浮遊感を感じられると、からだの感覚が広がります。夜の空間は普段味わえないこのおどりの醍醐味をより感じやすくさせてくれます。…そんな感覚が味わえるとからだの世界が広がります。
もちろん足が悪くて動けなくても、手だけでも、味わえる感覚です。
からだの軸の確かさや意識で、からだと空間の関係、からだの在り方で踊りが出来ることが感じられてくると思います。ニーチェの踊りへのヒントがここにあることを発見するでしょう。
そうしてここからご自身のおどりが始まります。
ナイトスキップで身体が解放されると心も解放されます。
今ある現実を自分自身から揺さぶってみて、別の視点を感じてみることにもつながります。
・・・・・
林でスキップ、土の上はやわらかいから跳びずらいですが、柔らかな坂をスキップするのは最高です。そして木々が伸びるように腕や体が伸びていく気持ちよさを味わえます。
霞が関ナイトスキップでは背広姿の人々の間を縫うのも痛快です…本当は霞が関で働く人も一緒に跳んでもらえたら、と思っているのですが。
東京ナイトスキップは、オリンピックに象徴されるような、より速く、より強く鍛えていく身体とは違う発想でのからだを感じることを、変わっていく場所で…という思いがあります。
新国立競技場が出来る、千駄ヶ谷駅から明治公園・霞ヶ丘団地にかけて。
渋谷の神宮通公園から宮下公園・美竹公園にかけて。
それぞれフィールドワークも大切にしており、そうしてスキップすると
「より地を感じてスキップしていた」という感想もあります。
ほかにも、様々な場でスキップをしていきたいと思っています。
いろんな方に味わってもらい、そこからそれぞれの感覚や気がついたことを交流させられたら、嬉しいです。
よろしくお願いします。