2007/9/25
さて、久々の単独ライブを控えている「こにしんぼ」。会場の玉造の「風まかせ人まかせ」は、去年の2月に初ライブを行った店です。
なんだか「振り出しに戻る」といった感じですが、この1年半余り、「こにしんぼ」も相応の進化を遂げてきました。
「こにしんぼ」は、ハモニカも唄も、ギターも、マイクやアンプを通さずにライブをすることが、これまで多く、ライブのMCで「地球環境にやさしいバンド」てなことも言ってきました。
結成当時の練習で、「どんなところで活動していくのか」という話になりました。正味ブルースをやっているお店とか、ライブハウス以外の、いろんなところを身軽に回ってみたいという思いもありまして、そんなことを言っておりましたら、相方のジュンヤ君が「俺、アコギ弾きますから、ハモニカも生でやったらどうですか」てな展開に、当初からなっていました。
お客さんが10人〜20人も入れば一杯になるような空間なら、音響設備がなくても、十分に伝わるし、いわば、「どこででもできる」。逆に、「生」でいくほうが、「ハモニカのよさ」も、より伝わるのではないか・・・そんな話をしていたような記憶があります。
てなわけで、初ライブ以来、会場によってはマイクやアンプを使うこともありましたが、「こにしんぼといえば、生音」みたいなことになってきました。
と、この間、ジュンヤ君が尊敬する先輩からフェンダーのテレキャスの72年製というのを、適価で譲り受け、7月末の帝塚山「ふぅ」のライブで、ギターだけアンプを通すということにしてみました。
ジュンヤ君が手に入れたギターは、なかなかにいいギターで、かゆいところに手が届くというか。ジュンヤ君も伸び伸び弾いております。
で、この間の練習もジュンヤ君はそのテレキャスを引っ提げてやってきて、私は生声に生ハモニカでやっておったのですが、そこで一計。
こんどのライブでは、私も曲によっては、ハモニカだけアンプリファイドするというスタイルでやってみたいと思っています。
このあたりの事情は、引き続き書いてまいります。

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2006/12/14
私ども、これまで「Blow Wind Blow」、またの名を「こにしんぼ」と名乗ってきましたが、この際、「こにしんぼ」で統一することにしました。
昨年今頃の結成当時、また初ライブ当時もまだユニット名は決まってませんでした。その後、いろいろ2人で意見交換して「Blow Wind Blow」と決めたほか、別に「おお、こにしと、しんぼで、『こにしんぼ』やな」という声もありまして、メインとサブの名前がありましたが、メインに「こにしんぼ」で一本化いたします。
メンバーの名前そのものズバリであります。今後とも、よろしくお願いいたします。

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2006/12/5
下で書いた、ギターショップ「ジャムズファクトリー」のウェブサイトでのバンド紹介。文章はこちらでタタキを書いて、あとはお店の方で手を入れていただいたものです。
ジュソヤ君は1984年生まれ、私は1965年生まれ。書きながら、私が今のジュソヤ君の年頃(20歳前後)に何をやっていたろうかとか、うちのユニットの年齢差が持つ意味を、あらためて考えてみました。
ジュソヤ君は、とにかくギターと音楽が好きであります。ヒマさえあればギターを触っているのはもちろん、「こにしんぼ」の活動のほか、ブルースセッションへの参加、尊敬する先輩ギタリストの家に泊めてもらう、最近は、彼がピンとくる、いろんな人たちのライブへ、精力的に通って、いろんなものを吸収して、感性を磨き、人間関係を広げています。それれがまた、「こにしんぼ」の演奏やライブの現場にも自ずと反映しています。それを勉強とバイトをしながらやっているのですから、充実しまくりです。
彼が生まれたのは1984年。私はちょうど大学浪人で予備校に通っていました。勉強その他のことはさておいて、当時私の趣味・道楽といえば、クラシック音楽を聴くことのほか、とにかく熱中していたのは、高校時代に「ハマッて」しまった歌舞伎でした。観劇だけでなく、芝居で掛け声をすでにかけていました。
とにかく大きな・通る声を出せるようになりたいと、高校時代は放課後の教室で「発声練習」を毎日やり(実は演劇部の部長もしていた)、浪人時代は気分転換を兼ねて予備校近くの加茂川の河原に出、向こう岸を往き来する人が、「なんや?」と振り向くようになるのをめざしてとにかく声を出しておりました。
当時の関西では、歌舞伎の通常興行は少なく、京都の南座で年2回、大阪・道頓堀の中座で年1回くらい。東京では歌舞伎座や国立劇場で、毎月どこかで歌舞伎をやっているのとは大違いでした。1回の興行約25日間のうち、見物に行けるのは1日分だけ。実際のお芝居の現場で声を掛ける機会は限られています。
なので、NHKの劇場中継を見ながら、茶の間でも画面の舞台進行に合わせて声を掛けていたし(声はそれなりの大きさですが)、中継を録音して(ビデオという文明の利器はなかった)、ラジカセで再生して聞きながら声を掛けました。そのうち有名な演目は、声を掛けるツボを押さえるため、上演台本を手に入れたり図書館で借りたりして、台詞も長唄や浄瑠璃の文句も丸覚えにして、風呂に入るときに台詞を自分で言って、自分で声を掛けておりました。
身近に歌舞伎好きの友人がいたわけでもありません。それをやって何になるのか、損とか得とか、まるで考えず、ただただ、「芝居が好き」「いい声を掛けられるようになりたい」という、それだけでした。
そんな20歳前後、まさか将来、自分がハモニカを吹いてライブをすることになるとは、夢にも思っていなかったのは確かです。
(つづく)

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2006/11/20
BLOW WIND BLOW、またの名を「こにしんぼ」。初ライブはことしの2月ですが、結成したのはいつか。だいたい、去年の12月ということになっていますが、正確な日付というものがありません。
実は1年前のきょう、11月20日に相方のジュンヤ君が私にメールをくれたのが、そもそも「こにしんぼ」の始まりでした。

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2006/10/8
ことし2月から2人でライブ活動していますが、これまでは、ほぼ全部、私が唄をうたってきました(4月のライブで1度だけギターのジュンヤ君がうたったことがあるんですが)。
私の持ちネタといえば、どうしてもサニー・ボーイとか、リトル・ウォルターといった、シカゴ・ブルースの、それもハモニカが入ったものが大半です。それはそれで、月日を重ねるごとに、いっそう練られていくし、デュオという形態で取り組む中で、「これがBLOW WIND BLOWだ」という音に近づいていくんだと思います。
ただ、「自分はこれを聴いてほしいんだ」というつもりでも、一晩全体でみれば、やっぱり偏りがあるんですな。これが。
私自身は、ハモニカを始めるまでは、ブルースはおろか、ロックもちゃんと聴いたことがありませんでした。ブルースを聴くようになってからも、こんどは、ブルースにはまってしまって、明けても暮れてもハモニカの入ったブルースばかりを中心に聴いてきたのであります。その点では、ある意味、「狭い」のであります。
で、私が、いままで取り組んだことのない曲(唄)に挑戦してみるというのも一つの展開方向で、追々やっていきたいと思ってます。
同時に、いままで唄をうたっていなかったジュンヤ君自身が「これをやってみたい」という曲を持ってきて、自分でうたう。私がハモニカでバックに回るというものを少しずつ増やしていこうと、夏ごろから準備してきたのであります。
9月のライブでは、ジュンヤ君が2曲うたいました(写真)

The Band の「The Weigt」
The Who の「Run Run Run」
です。ジュンヤ君から音源をもらうまでは、じぇんじぇん知らない曲でした(笑)。オリジナルにはハモニカも入っていませんので、そこは適当というか、自分なりに考え、ジュンヤ君と相談しながら吹いておるのであります。このあたりがハモニカの自在さかと思いますが。
そんなふうにして、このユニットも、脱皮に次ぐ脱皮であります。

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