前編のおさらいです。
・路線バスで三次から伊賀和志へ移動
・伊賀和志からシャトルバスで宇都井へ移動
本記事最後にはあとがきながら、
今後の話を芸備線を中心にして長々と綴っています。
是非ともそちらも目を通して頂ければ・・
宇都井から再びシャトルバスで口羽へ移動。
口羽15:09着の
9428Dを。(3分遅れ)
桜の開花が間に合ったことで、三江線との絡みが撮れました・・
口羽15:17発の
9425D(11分遅れ)
口羽から再び路線バスへ乗る必要があったため、撮影を諦めようとしていましたが、どうやら路線バスもこの列車の遅れに影響していた(巻添えを食らった)ようで、なんとか撮影。
路線バスを「日山橋」で下車。粟屋駅に向かって歩きます。
ここで道中の踏切(
下津河内第1)を1枚。
第4種ではありますが、三江線の踏切である、ということを記録する1枚として。
30分以上歩き、粟屋駅へ到着。
地域の方々が集まっていました。
粟屋17:11発の
9430D。(5分遅れ)
良い光景・・と思いたいところですが、ギュウギュウ詰めの鉄の顔がバッチリ写りこみ、生憎ここでは黒塗りを入れています。
さて、粟屋から最後の撮影地、尾関山へ向かいます。
道中、同業者様に車へ乗せて頂いて、徒歩の疲労感を回復することができました・・(感謝)
夕陽の当たる駅名標を無事撮り収め。
時間を潰しながら次の列車を待ちます。
陽が落ちた頃から、ギャラリーが続々と集まり始めました。
奥で桜をライトで照らしつつ到着する、
尾関山18:56発の
9427D。(7分遅れ)
尾関山19:37発の
上り最終便となる9432D。(4分遅れ)
この頃には尾関山のギャラリーはざっと100名を越えていたと思います。
尾関山20:37発の
下り三次行最終便となる9429D。(9分遅れ)
長い警笛を鳴らしながら闇へと消えていきました・・
これにて三江線の歴史は幕を閉じました。
この時点では、まだ正直実感が沸かないというものですが、沿線で作業員が最終列車発車後、「駅名標を外す」などの対応の打ち合わせをする声が耳に入ってきて、この夜が明けた後からが、
廃線を受け入れざるを得ないということなんだなと思いました・・
さて、ここからは「あとがき」です。(長文失礼)
個人的には、このブログを立ち上げた当初から芸備線を第一に応援しておこう、という気持ちでやってきたつもりです。
切符の購入額も年々増え、三次までの回数券で元が取れるほど乗るようにもなりました。
三江線の廃止通告を受けてから、「
次は芸備線」という声があちこちから聞こえてくる中、
芸備線対策協議会をはじめ、沿線がもっと団結して利用客を誘致する行動が必要だと強く感じるようになりました。
芸備線は、
広島市・安芸高田市・三次市・庄原市・新見市と多くの沿線自治体を跨ぐ長距離路線であることから、中々一致団結して・・ということが難しい事実はありますが、それを言っていては前に進みません。
ローカル線での観光列車の登場が次々に進む中、日常生活環境で利用者が見込めないのであれば、外から誘致する他ありません。
芸備線沿線でも色々な景色、イベント、ランドマークがあり、そこへバスなどの協力を得ることで、相互の利用者増につながります。
是非とも、今後は沿線の魅力を活かして誘致に向けた検討を進めて貰いたいと思います。
勿論、
三江線の廃線跡の活用も重要なことであり、特に尾関山駅跡は
旧三次市文化会館に保存されているハチロク(SL8620)の第2の保存場所としてなんとか活用できないか、と期待を込めています。
廃線だからこれで終わり、ではなくここから新たな活動に向けて進む人たちもいます。
ローカル線全体として応援、共に発展していくことを願いたいものです。

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